今日のアデンもまさに雲ひとつ無い晴天。洗濯日和ともいえる暖かさだった。
風もそよそよと心地よく頬を掠めている。心地よい風だ。
そんな清々しい天気の中、私の心は空模様とは裏腹に暗く澱んでいた。
理由は至って簡単。
暇なのだ。
こんな青空の下で昼寝をするのは日の光をさんさんと浴びてとても気持ち良かったり
するのだが、もうすでに寝過ぎたと思えるほど寝てしまった後だったりする。これ以上は
寝る事が出ない。
普通の旅人ならば、旅の資金稼ぎにと積極的にモンスター狩りでもするのだろう。
しかし私の場合は奴隷が代わりに馬車馬の如く働いてくれているので、奴隷に任して
おけば当面の資金の問題は起きないのだ。
それなので私は特にする事が無く、暇を持て余している。
あまりに暇なので私は湖のほとりに腰掛け、暇潰しに釣り竿を持ちながらボーっと水面
を眺めてみる。
「……暇だなぁ」
あまりに暇過ぎてついには口から零れ出てしまった。
気を紛らわそうと思って始めた釣りも、一向に魚がかからない。
「……はぁ、暇だなぁ〜」
また口から零れ出る。
すると突然背後に何かの気配がした。同時に私の横に何かがドサリと投げられる。
首を横に動かしそれを見てみると、なめし皮やモンスターの牙・爪などが落ちていた。
どうやら私の従順な奴隷が狩りを終えて戻ってきたらしい。
「おかえりポチ。ご苦労様〜」
釣り竿を地面に突き刺すと、私は後ろを振り返る。そこには礼装のような服を着た1メー
トルほどした人型の猫が立っていた。
いつものように空いた右手は頬杖をついて垂直にし、左手は水平にして垂直に立てら
れた右肘を支えている。
これが私の奴隷――ポチだ。
「お嬢よ。暇とは言うが、我輩1人に狩りをさせておきながらそう言うのはどうかと思うぞ」
生意気にも奴隷のくせして、主人である私に文句を言う。生意気な奴隷だ。
「何言ってんのさ。あんたは私に召喚された身なんだから、大人しく主である私の命令を
聞いてればいいの。余計な口答えはしない!」
「はぁ、猫使いの荒いお人だ。我輩たちがいなければロクに戦えぬというのに……」
「うるさいだまれ」
「……はぁ、承知した」
召喚契約をされているために、それ以上の口ごたえはせずに渋々従うポチ。
そう。私の職業は魔法使いの中でもレアな「召喚士」なのだ。
もっと正確に言えば、猫の召喚士『ウォーロック』である。
猫を一定時間召喚使役し、一緒にモンスターを倒すのがセオリーな私の戦い方。
召喚に特化した職種なために私自身の魔法修練はほとんど出来ていない。本職の魔
法使いには魔力で劣り、生半可な戦士と比べても力で劣ってしまう。
言うなれば、個人能力だけで見ればとても戦いなどには向かないのである。
しかし召喚された猫の強さは私の能力の軽く2倍〜3倍であり、猫がいなければ何も出
来なかったりする。
まさに猫様様な職業である。
頭では猫が神様と言っても過言ではないと認めているのだが、心ではそんな事は認め
られようも無かった。
いくら強かろうと、結局は使役する方と使役される側だ。当然使役する方が力関係は上
である。
それを象徴するように、戦いに関しての私の命令は絶対服従だった。いくら無理な事を
言おうとも従ってくれる。
だからこそ、私は何もせずとも勝手にモンスターと戦い、戦利品を私に貢いでくれるの
だ。
「じゃあヒールしてあげるからもう一働きヨロシク」
私は傷ついているポチに癒しの魔法をかける。
「まだ我輩をこき使う気か? そろそろ一緒に戦ってくれても――」
「黙りなさい。あんたは私の言う事を聞いてればいいの! そう、それはまさしく馬車馬の
ように!」
「全く。いつもいつも猫使いの荒い。そろそろ召喚されるのをボイコットしたいのである」
「いいから大人しく契約時間が切れる寸前まで戦ってこい!」
私はヒールの他にも肉体強化の補助魔法をかけ終わると、ポチの背中を思いっきり
蹴って再び狩場へと向かわせた。
再び湖に向かってボーっとしていると、手元にあった釣り竿に手応えが来た。
ついにヒットしたらしい。
釣り糸の先にあるルアーは、右へ左へ、前へ後ろへと、縦横無尽に動き回る。
なかなかの大物がかかったらしい。かなり力を入れて踏ん張らないと湖の中へと引き
ずり込まれそうだ。
「うがあー! ここで逃してたまるかー!」
必死に私は獲物を逃すまいと頑張る。そして、
「今だ!」
一瞬動きが止まった瞬間、一気に竿を振り上げる。
ルアーに食いついた大物が水面上に姿を現した。
「げげげ!」
その姿を見て私は顔が青ざめてしまう。
水面上に姿を現したのは大物には違いなかったが、魚ではなかった。
「最悪ー。何でモンスターが釣れちゃうのさー!」
水面上に姿を現したのは、体長2メートルを超える魚のモンスターだった。
ベースは魚で、それに腕や足が生えたような姿をしている。
容姿的には決して良いとは言えない。表面は油でテカテカしており、触るのも絶対に嫌
だった。
「キサマカ。コノオレニ勝負ヲイドムノハ」
左右にあった目玉が私を捉える。
ただ見られるだけでもこの身を汚された気分にさせられてすごく不愉快な気持ちにさせ
られる。視姦されているようだ。
「キサマ女カ。丁度イイ。オレガ勝ッタラオレノ子ヲ孕メ」
「誰があんたなんかの子を孕むかー! 私にそんな事を言う前に、自分の顔をその湖に
写して見てみなさいよ!」
さっきの訂正。現実に視姦されてました。
裸にも関わらずそれらしき部位は見えないのだが、どうやらオスらしい。
魚人は私に言われたように湖に写った自分の姿を見下ろす。
すると惚れ惚れしているような口調でこう言った。
「イツ見テモ俺ハイケテルナ」
マジですか。どう見ても私には気色悪くしか見えないんですが……。
究極的に人間とは美的感覚が違いすぎるようだ。
「コンナオレノ子ヲ孕メルンダ。素直ニドウダ?」
「馬鹿言うなー! 誰が気色悪いモンスターなんかの子を産むもんか!」
そんな事態になったらもう生きていけない。
私は120パーセント拒否した。
「ソウカ。ナラバ実力行使ダ」
魚人の腕が振りあがったと思うと、私の頭目掛けて勢いよく振り落ろされる。
すばやく避けると、側に突き刺してあった私の背丈くらいある大剣グレートソードを引き
抜く。
見ると、さっきまで私がいたところは軽く地面が凹んでいた。避けなければ骨が砕けて
死んでいたかもしれない。
子を産ませるつもりじゃなかったのかよ。全然手加減無いじゃないか。
心の中でいきづく。
まあ所詮は魚のモンスターだ。脳が足りなくてさっき自分が言ったことを忘れてもおかし
くない。深く考えない事にしよう。
すかさず2撃目が襲い来る。
今度はグレソの剣背で受け止めようとしたが、攻撃を受け止めきれず、グレソと一緒に
後ろへと吹き飛ばされてしまう。
「うわっ」
グレソ自体かなりの重量を誇っているのに、それをものともせずに吹き飛ばされるとは
予想もしていなかった。
すかさず空中で体勢を立て直そうとするが、グレソの重みで体勢を立て直しきれない。
「きゃん」
勢いよく尻餅をついてしまった。
結構痛い。青あざになったかも。
尻餅をついた状態のまま痛むお尻を擦っていると、突然明るかった視界に影が差した。
「オレノ勝チダ」
前を見上げると、腕を振り上げた状態で勝ち誇っている魚人の姿。
不気味に長い口元が釣り上がっている。
こんな間近で見たくない顔だ。
「サラバ人間」
その言葉と共に、頭上目がけて魚人の魔の手が振り下ろされる。
「くっ!」
反射的に逃げようとは試みたが、座った状態から逃げるのには時間が圧倒的に足り
ない。
あと刹那で私に死が訪れると覚悟した時、後方から何かが私の横を一瞬で駆け抜けて
いった。
それは魚人の体へ衝突し、魚人は大きく後方へ吹き飛ばされていく。
一瞬何が起きたか理解出来なかった。唯一理解出来たのは自分が助かったという事
だけ。
「これは大きな貸しであるかな? お嬢」
「ポチ?!」
振り向けば後ろにはポチがいつものあの格好で立っていた。
いつも見るその格好だが今はすごく凛々しく見える。
魚人を吹き飛ばしたのはどうやらポチの攻撃魔法らしい。
「ちょっと! 一体どこに行ってたのよ! もう少しで私死ぬ事だったじゃない! あんた
は私を守るのが仕事なんだからしっかり働きなさいよ!」
「また理不尽な事を申すな、お嬢は。狩りに我輩を行かせてたというのに……。しかも感
謝の礼の一言も無いとは……」
私はいくつかの猫を召喚出来るが、一度に召喚出来るのは一体だけ。つまりポチを召
喚している間は、他の猫を召喚出来ないのだ。
猫のいない中での戦闘は、今みたいにまさに死と非常に隣り合わせなのである。
「うるさいだまれ。主に口ごたえをするな」
「……はぁ、もうくどくど言う気も失せたである。それにここで口論する事よりも、今はあや
つを倒す事が最重要事項であるな」
ポチは魚人の吹き飛んだ方を見据える。
私も同じように見ると、魚人がのそのそと起き上がり始めた。
やはりさっきの魔法の一撃くらいでは倒れてくれないらしい。それに大したダメージを
追っていないように見える。ただ単に慣性に従って吹き飛んだくらいかもしれない。
倒すにはもっと確実なダメージを与えなくはいけないようだ。
「今ノハ驚イタガ大シタ事無イナ」
「とっさの攻撃であったからな。威力は大分殺していた。本来はもっと痛いぞ?」
ポチの右手に魔力の渦が巻き始める。
「喰らってみるがいい」
そしてポチの手から魔力の弾が飛び出し、魚人に勢いよく向かっていく。
「ヌッ」
避けようと動くものの、避けきれずに魚人は攻撃を喰らう。
が、軽くグラついたものの今度は倒れるような事がない。ポチの魔法攻撃を耐え切って
しまったようだ。魚のくせしてかなり硬い体をしている。
それでもさっきと違ってそれなりのダメージはあったようだ。ダメージを受けた場所に血
が流れている。
「サッキヨリハ痛カッタガ、ヤハリ大シタ事ナイナ」
勝ち誇ったようにポチに向かって言うが、すでにさっきいた場所にはポチの姿はない。
「ドコニ消エタ?!」
「ここである」
ポチを見失い慌てて辺りを見回す魚人の真後ろにポチはいた。
声に反応して振り向く間も許さず、ポチは魚人の背中に拳をめり込ませる。いや、背中
をつき抜く。
「グオァァァァア!」
背中を打ち付けられたならともかく、背中を突き抜かれた痛みは計り知れない。
魚人は絶叫を上げる。
そんな絶叫を上げる魚人に至ってポチは冷静に一言。
「これで終わりである」
言うや否、素早く自分の腕を引き抜き魚人の背中を蹴って離れる。
と同時に、魚人の背中が光ったと思うと一気に体が膨れ上がり、臨界点を超えて魚人
の体は木っ端微塵に吹き飛び、魚人の骨や肉片や血の雨がしばらく凄惨に降り続いた。
これは……結構すごい地獄絵図である。しばらくの間は肉が喉を通らないかも……。
その光景を見てポチは満足げに、
「ふふん。我輩の憂さを晴らすにはこうするのがやはり一番だな」
と言い放った。
この時、初めてポチが怖いと感じた。
サディスティックな趣味は遠慮したいよ、私は。原因が例え私にあったとしてもさ。
さっきまでいた場所は軽い地獄絵図になり果てたために、気分転換に散歩をする事に
した。
今は1人で草原を散歩中である。ポチは少し前に召喚契約時間切れで、本来住む世界
へと戻ってしまったのだ。
あてもなくブラブラと歩いていると、草原を分けるように存在する街道を歩く人影を発見。
あの長い銀髪が特徴な後ろ姿には見覚えがあった。
私の所属するエターナル血盟メンバーのミリーだ。
ちなみに血盟とは、簡単に言えば旅の仲間同士で集ったグループみたいなものだ。
同じ志しを持った者同士が集まり、定期的に集っては情報交換やレベル上げをするの
である。
「おーい。ミリー!」
大声で呼びかけながら、手を振って駆け出しミリーに追いつく。
私に気付いたミリーも手を振り返してくれた。
「久しぶりだね〜。元気にしてた?」
「うん。癒し手としては、健康には十二分に気を使わないといけないからね」
このミリーの職業は『シリエンエルダー』であり、癒しの魔法や肉体強化の補助魔法な
どを使えることが出来る。
私も癒しの魔法や補助魔法を使えるのだが、そのレベルは桁違いに違いすぎて全然
太刀打ち出来ない。
彼女の特徴としては、長い銀髪もそうだが肌の色も特徴的だ。浅黒い灰色の肌をして
いる。
これは彼女が人間ではなく、ダークエルフ種族であるがための共通の特徴である。す
べてのダークエルフは浅黒い肌に銀髪なのだ。
そしてもう一つの特徴として、ダークエルフの女性はみんな胸が大きい。最低でもDは
あるのだ。
首を下げて自分の胸を見る。
思わずため息。見なければ良かった。
ミリーを見る。正確にはミリーの胸だ。
おっきい。Eはありそうだ。すごく羨ましい。
少しくらいお裾分けしてもいいくらいの大きさだ。
「ちょ、ちょっとマナ〜。どこ見てるの〜?!」
私の視線に気付いたのか両手で胸を隠す。しかしその大きい胸はすべて隠れない。形
を変えながら腕からはみ出ている。
「また胸大きくなったんじゃない?」
悔しさに口を尖らせながら聞いてみる。
すると申し訳無さそうにミリーは、
「あはは。やっぱり分かっちゃったかな? 実はまた3センチほど成長しちゃった……」
「くっやしー! 何でダークエルフの女はそんなに胸が成長するのさ〜。私なんてBも無
いっていうのに〜。贔屓だ、贔屓〜」
私の突然の不満爆発に、ミリーはどう返していいのか分からない。
とりあえず苦笑いをしながら返事を返してくる。
「私にそう言われても困るよ」
「そう言いながらも実は何か特別な事してるんでしょ?」
疑るように私はミリーを見る。
「特別な事? そんな事してないよ」
「そう言いながらも、実は毎日胸を揉んでマッサージしていたりするんじゃないの? 「こ
んなに胸が大きいと肩が凝って仕方ないわ。ついでに胸も凝っちゃうわ〜」とか思いなが
らさ!」
「肩が凝るのは認めても、胸が凝るから揉むなんて事はしてないから」
私の言葉にミリーは呆れる。
だが私はそんな言葉を信じない。というか、もう暴走していて理性で抑制する事など不
能だった。
「嘘だ、嘘。絶対揉んでるに違いない! きっとその揉み方が胸がおっきくなる秘訣に違
いない。 さあ存分に私の胸を揉みなさい!」
そしてミリーの手を持って自分の胸に押し当てる。そしてグリグリと無理矢理揉ませる。
「ふえ〜ん。マナが壊れちゃったよ〜。誰か、誰か助けて〜〜〜〜〜!!!」
周りに誰もいない静かな青空の下。
広い広い草原にミリーの叫声がどこまでも遠く響き渡ったのだった。
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