SideStory3 甘い時間

 

 
 僕の心臓は激しく高鳴ってた。

 怜奈ちゃんが隣で僕と歩いてくれている。それも二人っきりで。

 そう思うと鼓動が激しくならないわけにはいかなかった。

 初めて出逢った時にも、同じように二人であちこち回っていたのだが、今ほどの緊張

はなかった。むしろ嬉しさでニヤけていたほどだったが、今はそんな余裕がまったくな

い。

 怜奈ちゃんが隣にいることを意識し過ぎて、周りの人にこの急激に高鳴った鼓動音

が聞こえるんじゃないかと思うくらい、胸が高鳴って緊張している。ニヤけようにも顔の

筋肉が引きつって動かない。

 これはやっぱり『恋』なんだと思う。

 そっと首を横に向け、真っ直ぐ前を見て歩く怜奈ちゃんの横顔を見た。

 艶のある長い黒髪。それを左右に分けたツインテールが怜奈ちゃんの魅力を引き出

している。

 それに浴衣姿も似合っていた。

 白い千鳥柄の浴衣はどこか大人っぽさを醸し出す浴衣だと思うのだが、唯ちゃんの

妹のためだろうか。普通なら着られている感じになりそうなものだが、見事に着こなし

ている。
 
  正面から見れば可愛い怜奈ちゃんなのだが、こうやって横顔を見ていると別人のよ

うな大人の女性に見えてしまう。色っぽく感じた。

 もしかしたら怜奈ちゃんがほのかに漂わせている香水の、甘くいい香りも原因の一つ

なのかもしれない。

 これで笑顔が加われば文句なし。どうにかして怜奈ちゃんが笑顔でいてくれるように

する方法はないだろうか。

 とにかく僕は今すごく幸せの瞬間を味わっていた。

 

 

 怜奈ちゃんの歩行速度は普通の人よりも少し遅い。気をつけていないと、僕との距離

が徐々に離れていってしまう。

 それならば手を、と思うのだが、やっぱり遊園地のときのように、気軽に手を繋ぐこと

は出来なかった。

 好きな人だと認識し、意識すると、こんなにも変わってしまうものなのか。

 すごく自分がもどかしい。

「あっ……」

 油断した。隣を見れば怜奈ちゃんの姿がない。

 手を繋ぐことに意識が集中し、怜奈ちゃんとの距離が開いてしまったようだ。

 すぐに振り返って怜奈ちゃんの姿を探す。

 そろそろ花火開始時刻が近いのか、来たときよりもだいぶ人の数は減り、後ろの様

子がその場からでもある程度は見ることが出来た。

 だが視界に怜奈ちゃんの姿は写らない。

 おかしいな。それほど意識が飛んでいたわけではないと思うんだけど。

 仕方なく、僕は再び来た道を引き返すことにした。

 

 

 怜奈ちゃんの姿はすぐに見つかった。一つの夜店の前で、じーっと無言のまま立って

いたのだ。

 小走りで近づいていき、怜奈ちゃんの横に並ぶ。

 ほんの僅かな時間だけ僕を見たのだが、怜奈ちゃんはすぐに再び視線を夜店の方へ

と戻してしまう。

 何をそんなに怜奈ちゃんの興味を引いているんだろう。

 見ればそこは、たこ焼きの夜店だった。

 店の人が、生地やたこ、天かす、紅しょうがやねぎなどを、強大な丸穴のあいた鉄板

――たこ焼き器を使い、串でころころと回して綺麗な丸を次々に作り出している。

その焼けたいい匂いが僕の鼻腔をくすぐる。

「たこ焼き食べたいの?」

 さっきからずっとその工程を見ている怜奈ちゃんにそう声をかけると、視線をこっちに

移して答えた。

「……これ、食べたことがない」

「そうなの?!」

 驚きだ。たこ焼きを食べたことがないなんて。

 普通に生活していれば、すでに何らかのきっかけで食べているものだと思う。それが

今まで無かった怜奈ちゃん。一体どういう暮らしをしていたのだろう。

「もしかして、唯ちゃんも食べたことがないとか?」

 すると怜奈ちゃんは首を横に振った。

「……お姉ちゃんは、多分ある」

 一言そう答えると、怜奈ちゃんは視線をまたたこ焼きに戻した。

 たこ焼きを見る怜奈ちゃんの瞳を盗み見してみるが、そこからは感情を読み取ること

は出来なかった。やはり無表情。

 せめて物欲しそうな表情や仕草でもしてくれれば、あの言葉を言いやすいのだ

が……。

 それでも今まで食べたことがないと言っていたのだ。言おう、あの言葉を。

「良ければ買おうか? これって結構美味しいんだよ」

 その言葉を聞き、視線が再びこちらに移った。

 けれども、僕の顔を見るだけで、答えとなる言葉が返ってこない。

「あ、さっき食べたことないって言ってたから、良ければこの機会に食べてみたらどうか

なって思って。僕が奢るから食べてみるといいよ」

 さっきの言葉は聞こえなかったのかもしれないと思い、僕は再び怜奈ちゃんに話しか

けると、そのまま返事を聞かずにお店の人からたこ焼きを一パック買った。

 それをそのまま怜奈ちゃんに差し出す。

 だが、差し出されたパックを見るだけで、それを受け取ろうとしない怜奈ちゃん。

「遠慮しなくていいよ。食べてみて。おいしいから」

 差し出していたパックをもう少し怜奈ちゃんへと近づけると、

「……ありがと」

 やっとパックを受け取ってくれた。そして食べようとするのだが、

「……どうやって?」

 可愛らしく首を傾げながら聞いてきた。

 初めて食べるもののために、食べ方が分からないようだ。

 それがまた可愛く感じ、僕の心がまた一歩、怜奈ちゃんへと傾いたのを感じた。

「パックの端に添えてある爪楊枝があるでしょ? それで刺して食べるんだよ。他の人

も食べてるし、それを見て真似すればいいよ」

 すると、言われたとおりにゆっくりと周りを見回す怜奈ちゃん。

 三十秒くらいじっくり周りを見ると、不意にたこ焼きの入ったパックを僕に返してきた。

「え?」

 突然の予想外な行動に思考が一瞬鈍ったため、素直に僕は怜奈ちゃんからパックを

受け取ってしまう。

「何で?」

 怜奈ちゃんの顔と、渡されたパックを交互に見ながら、怜奈ちゃんの思考を汲み取ろ

うとしてみる。けれども、心が通い合っている仲ではないため、考えても分からなかっ

た。

「……何で?」

 なので、また同じ事を聞いてしまう。

 すると怜奈ちゃんは首を横に向け、その方向をじーっと見つめた。

 その方向には一組のカップルがいた。

  道から外れた場所にある少し大きな石の上に座り、仲良さげにたこ焼きを食べさせ

あっている。

 そうだ。『食べさせあって』いるのだ。

 それで怜奈ちゃんが僕にたこ焼きのパックを渡した意味をやっと理解した。

「まさか……ああやって食べさせて欲しいの?」

 首を縦に振る怜奈ちゃんに、僕は少し戸惑う。

 何気なしに『人の真似をしろ』と言っただけなのに、まさかこんな展開になるとは思い

もしなかった。他にも一人で食べている人がいるのに、どうしてあのカップルを真似よう

としたのか。

……二人でいるから……なのかな?

 多分、あまり深い意味はないのだろう。恋愛には疎そうだしね。

 しかし、あれは完全なカップル同士の食べ方だ。今の僕がこんなことをしてもいいの

だろうか。

 いや、怜奈ちゃん本人が求めているのだから問題はないのかもしれない。

 それでもそういうのは付き合った者同士がすることであって、やっぱり今の僕がする

べきことじゃないと思う。

 怜奈ちゃんには悪いけど、こういうのは付き合ってからのお楽しみということで――と

思ったのだが、

「……あーん」

 そんな可愛らしい声を出して小さいな口を開けられると、僕に残された選択肢は一つ

しか残されていなかった。

 爪楊枝を手に取り、たこ焼きに突き刺す。そして、出来立てのためにまだ余熱を残し

たたこ焼きに軽く何回か息を吹きかけて冷ますと、

「まだちょっと熱いかも知れないから気をつけて」

 怜奈ちゃんの小さい口に、そっとたこ焼きを入れてあげた。

 何だかすごく恥ずかしい。人通りの多い場所で、こんなことをするなんて。

 しかし、その恥ずかしさもすぐに消えた。

 女の子らしく、口に手を当ててたこ焼きの味をかみ締める怜奈ちゃんに、少し僕は感

動を覚えたのだ。

 こういうと失礼なんだろうけど、どこか無機質的な雰囲気を持つ怜奈ちゃんだが、ちゃ

んと人間らしいところがあり、しっかり女の子をしている。そう思うと、どこか安心した。

「どう? 美味しい?」

 初めて食べてみての感想を聞いてみると、

「……美味しい」

 そう答えた怜奈ちゃんだったが、その喜びが表情には表れていない。

 それが怜奈ちゃんらしいといえばそうなのだが、どこか寂しい気持ちもする。

『笑ってほしい』

 その言葉を言いたいと思った。

 嬉しいときは笑ってほしい。その方が僕も、その嬉しさや喜びを共感できるから。怜

奈ちゃんに心の距離が近づけると思うから。

 どうしよう。言うべきなのか。

 でも怜奈ちゃんは作り笑いが出来ないことは遊園地のときに実証済みだった。あの

時は何だか無理していたし、作り笑いをしてもらっても本当の意味で嬉しくはない。

 もっと自然に、怜奈ちゃんに笑ってほしい。

 そのことで悩んでいると、不意に、怜奈ちゃんが僕の手からたこ焼きのパックを取っ

た。

「え?」

 もしかしたら玲奈ちゃんも、さっきのはすごく恥ずかしかったのだろうか。だから後は

自分の手で食べようと思ったのかな?

 などと思ったのだが、その予想は全然違っていた。

 パックの端にあったもう一本の爪楊枝を手に取り、たこ焼きに突き刺すと、それを僕

の口に向けて差し出してきたのだ。

 食べろ、ってことなんだろう。それ以外に考えられない。怜奈ちゃんが見本にしたカッ

プルも同じことしてたし。

 それなら、と思って口を開けようとしたのだが、周りの視線が気になり、簡単な動作

のはずのことが恥ずかしくて出来なかった。

 こんなところをクラスメイトに見られたら冷やかされそうで怖い。

 躊躇している僕をお構いなしに、怜奈ちゃんはどんどんたこ焼きを近づけてくる。

 どうしよう。ここで断るのは悪印象を持たれそうで嫌だ。

 かといって、たこ焼きを怜奈ちゃんに食べさせてもらっているところを知り合いに見ら

れるのも嫌だ。

 食べるべきか。それとも、うまく断るべきか。

 決断のときはすぐにやってきた。

 たこ焼きが、ついに口の寸前にやってきたのだ。

 そして唇に触れないギリギリの場所で、たこ焼きの動きが静止する。

 僕が全然口を開けようとしないために、たこ焼きを僕の口の前に止めたまま、怜奈

ちゃんは僕の顔をじーっと見つめてくる。

 無表情であるが、間違いなく、「何で口を開けないの?」と言いたげな目をしてるのが

分かった。

 もうタイムリミットだ。どうする。

 心の中で、二つを天秤にかけてみた。想いを取るか、羞恥心を取るか。

 すると自分でも驚くほどに、あっさりと傾いてしまった。

  『想い』の方へ。

 それならすべき行動は一つしかない。

「あーん」

 やっと進むべき進路が開いたために、再びたこ焼きは僕の口の中へと向かい進んで

いく。

 全部入ったところで口を閉じ、爪楊枝からたこ焼きを引き抜いた。

 自分でやればなんてことない行動。それが他人――異性にやってもらうとなると、こ

こまで恥ずかしいものなのかと、僕はこのとき初めて実感した。

「……美味しい?」

「あ、うん。美味しいよ」

 怜奈ちゃんに聞かれてそう答えたものの、実際はたこ焼きを噛んでいても、恥ずかし

さのせいでほとんど味を感じていなかったのだ。

 それに何だか顔が火照っている感じがする。まさか顔が耳まで紅潮していたりする

のだろうか。鏡があれば、自分の顔をチェックしたい。

 怜奈ちゃんを見れば、手に持っていた爪楊枝をまたたこ焼きに刺し、僕の方へ差し出

そうとしていた。

「怜奈ちゃん、ストップ!」

 それを慌てて僕は止める。

 今の一回だけでも結構神経をすり減らしてしまったのだ。恥ずかしくて、僕にはもう同

じことをやれそうになかった。

「僕はいいから、怜奈ちゃんが残りを食べるといいよ」

 そう言って何とか逃げようとしたのだが、

「……やっぱり僕が食べさせるの?」

 怜奈ちゃんは自分で食べるつもりはさらさらないらしい。

 あくまでも食べさせてほしいらしく、再びたこ焼きのパックを僕へと差し出しながら、こ

くりと頷いたのだった。
 

 

 

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あとがき

遊園地に続いて、花火大会でのもう一つの話です。
下手な伏線っぽいのを本編で張ってあったので、それの回収作業も含めて作ってみました。
それなのでまだ続きます。

しかし、伏線張った当時の予想では5000字も書けば終わるだろうと思っていたのに、
気付かぬうちに成長していたのか、伏線の部分へ行く前に約5000字いきました。
そして書いた後で思ったのですが、ネタの質が落ちているというか、
ネタとキャラが少し合っていなかったような……。

というか、最初と現在では書き方が違いすぎ。
これじゃあ別の作品みたいだな。