第4章 夏休み前 第2話


 頭を強く殴られたような衝撃。

 ・・・許婚。この女は京君の許婚・・・。

 それならこの女は―――

「ちょ、ちょっと信じるなよ!?」

 いきなり後ろから肩をグイっと引き寄せられ、強制的に回れ右をさせられた。

 そして私の視界に入ってきたのは京だった。

 もう用事は済ませてきたらしく、手には頼まれた醤油を持っていた。

「さっきのは嘘だから信じるなよ?」

「じゃあ誰なの?今日は楽しそうに買物してたよね!?」

 今日1日で溜まった怒りを京にぶつける。

「電車の中ではたのしそ〜にお話したり抱き合ったり。買物の最中はずっと腕を組んでた

よね?あれは何だったの?本当は嘘じゃなくて、許婚ってのは事実じゃないの?今日は

用事があるって言ってたのは許婚のこの女とデートだったんだね!」

「だーかーらー、違うって!許婚なんてもんじゃない。これは俺の姉貴なんだよ!今度か

らこっちに引っ越して暮らすことになったから、その用意とかで今日は出かけたんだ。腕

組んだりするのは姉貴の冗談・・・というか、コニュニケーションみたいなもんなんだ。だ

から許婚ってのは姉貴のほんの軽いジョークだったんだよ!」

 私の肩をガシッと掴み、京は言った。その目は真剣だ。

「・・・姉貴?この人は京君のお姉さんなの?」

 私は疑いの眼差しで京を、そして女を見た。

 よく見ればどことなく京に似ているような気もする。

 すると気まずそうな顔をしながら、京のお姉さん(?)が手を合わせてが謝ってきた。

「あはは〜。まさか本気にするなんて思わなかったから・・・。ゴメンね〜、明日香ちゃん」

「本当に京のお姉さん・・・なの?」

 よく考えればこれが嘘だとしてもすぐにバレるに決まっている。

 そのためにすでに疑ってはいなかったが、最後の確認の為に聞いてみた。

「私は相沢沙久耶(さくや)。正真正銘、この京の姉だよ。これからよろしくね」

 

 

 玄関での自己紹介の後、私はそのまま沙久耶さんに家へ連れ込まれた。

「せっかくだからうちでご飯食べていってよ。さっきの冗談のお詫びに腕を揮って作るから

さ。出来るまでは京の部屋で愛の語らいでもしてなさい♪」

 そんなわけで私は今、2階にある京の部屋に来ていた。

 まず入ってみての感想。

 脱ぎ捨てた服はあるやら、お菓子の食べた後のゴミ袋はそのままなど、 それはもうと

にかく汚かった。

 部屋は6畳以上あるにも関わらず、ベットの上にしか座るところがない。

 京君では考えなられない有様だ。足の踏み場がないなんて。

 ・・・まあこの部屋来たの初めてだから、実際はどうなのか知らないけど。

「汚い」

「うるさい。俺の部屋なんだから文句言われる筋合いはないだろ」

 ブスッとした口調で答える京。

「この有様は京だから?それとも京君の時からこうだったの?」

「・・・ん。あいつは綺麗好きだから、こんな惨状にはまずさせないな」

「本当に2人は違うんだね。どっか共通してるとこはないわけ?姿以外で」

「いくつかあるさ」

 京は部屋の中へ入り、ベットへ腰掛ける。

 私にもベットのとこに座れって合図をするので、指示通りに京の横に腰掛けた。

「どこが?」

 京の共通点を聞くと、

「いくつかあるけど一番の共通点は・・・」

「・・・?」

 京が言葉を止めて、その先を言わないのを不審に思い、京の方を見た。

 すると京がいつになく真剣な眼差しで私を見ていた。

「あいつと俺の一番の共通点は、『おまえの事が好きな事』だ!」

「え、ええ〜・・・」

 一気に顔が赤面。また随分いきなりの事に頭が混乱する。

 熱い眼差しでそんな事を言われると・・・。
 
 すっと京の両手が私の肩を、玄関の時とは違って優しく掴んだ。

 そして京の顔が段々私の顔に近づいてくる。

 あわわ。この展開って・・・もしかして・・・。でも嫌じゃないしこのままいいかな。

 流れに任せるようにそっと私は目を瞑って待つ事にした。

 そして唇と唇が触れ合うその瞬間、

「ご飯出来たよ〜。2人とも降りてきてね〜」

 下の方から沙久耶さんの声が聞こえてきた。

 そのために唇が触れる寸前でお互いに正気(?)に返ってしまった。

 お互いの顔が一気に離れた。

 う〜、ちょっと残念だった・・・かな。

「ご飯出来たらしいし、下に降りるか」

「うん。そうだね」

 私は京が差し出した手に掴まり、一緒に下へと降りていった。

 

 

「さあ食べて食べて。熱いうちにどうぞ」

 沙久耶さんが用意した料理は『うどん』だった。それも煮込みである。

 何でこの暑い夏に熱い煮込みうどんなんだろう。

「腕を揮うってさっきは言ってたけど、実は姉貴は簡単な料理しか出来ないんだよ。うど

んとかカレーとかシチューとか、な」

 私の考えている事が京に伝わったのだろうか。そのわけを教えてくれた。

「ごめんなさいねー。どーせ私はお手軽料理しか作れませんよーだ」

 それに対し少しムッとした感じで沙久耶さんは文句を言う。

「ああ、本当だぜ。もう少し時間をかけて作る料理を作れるようになって欲しいもんだ」

「はいはい。ごめんなさいね。すぐに料理出来たせいでキスの邪魔しちゃったもんね」

「―――!?」

「ぶっ!」

 その言葉に2人して驚く。京なんて食べてる途中だったから吹き出していた。

 まさかあの場面をバッチリ見られてた?

 でもいいタイミングで下の方から声したはずだし、そんな事はないと思うんだけど。

「何でそれを知ってるんだよ?!」

「あら〜。冗談で言ったつもりだったのに、ず・ぼ・しだったみたいだね〜。ああ、若いって

いいわね〜。お姉ちゃん妬けちゃうわ♪」

 ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべる沙久耶さん。

 どうやら外見とは違ってかなりイヤらしい性格らしい。

 こういう人、私苦手だな〜。

 

 

 夕飯を食べ終わり、リビングの方で沙久耶さんと2人で話をしていた。

 2人で話している間、京は台所で食器洗いなどの後片付けをしている。

 と言っても、沙久耶さんが一方的に喋ってる感じだった。

 私は話の合間に相槌を打つ感じで、あまり喋っていない。

 ふと窓の外を見ると、日が完全に落ちて真っ暗になっていた。

 私が外を見ていたために、沙久耶さんも外を見て、

「あ、もうこんな暗くなってたんだ。そろそろ家に帰った方がいいね」

「そうですね。そろそろ帰ります」

 あまり遅くなると和哉が心配するかもしれない。

 両親は気付くと姿をくらますくらいだから、常に家にいたとしても心配しないはず。

 むしろ「早く孫の顔を見たい」って言ってたくらいだから、お泊り大歓迎・朝帰り大歓迎っ

て言ってもおかしくなかった。

「じゃあ俺が送ってくよ」

 後片付けも終わり、一緒になって話を聞いていた京が提案するが、

「ダメダメ。京なんかに行かせたら送り狼になっちゃうでしょ。だから私が送ってくるよ」

「そんな事するわけないだろ」

 呆れながら答える京だが、結局は沙久耶さんに任せる事になり、沙久耶さんに送られ

て家へ帰る事になった。

 

 

 しかしどうやら私と2人きりになるのは計算のうちだったらしい。

 沙久耶さんは帰り道を少しそれた公園へ寄ろうと提案してきた。

 そしてそこで、沙久耶さんが急に真面目な表情で私に質問してきた。

「明日香ちゃんに聞きたいんだけど、京が2重人格だって事は知ってるよね?」

「はい。それは知ってます」

「どっちの京が好きなのかな?」

 それは前にも聞かれた事のある質問。

 今まではあやふやな答えしか返せなかったが、今ならはっきりと答えが出ていた。

 この前のテトラポットでの出来事以来、私も色々自分なりに考えていたのだ。

「内気な優しい京君、積極的な意地悪の京。両方とも私は好きです」

 本来ならこのセリフはなかなか恥ずかしくて言えるようなものではないと思う。

 ましてや今日会ったばかりの京君のお姉さん相手には当然のはずだった。

 しかし冗談を全く含まず真剣に聞いてきたために、こっちも恥ずかしい気持ちなど感じ

ずに答える事が出来た。
 
「なるほどね。それでも体は同じでも心は違う。両方とも好きだとしても、どっちの方が好

きって気持ちはあるんじゃない?」

 沙久耶さんは何を知りたいんだろうか。質問の意図が掴めない。

 とりあえず質問に答えていればいずれ分かる事だろう。

 私は今の気持ち・考えを正直に答える事にした。

「前は今の京の事を知らなかったから優劣はありました。でも最近は、今の京の事を何と

なく理解してきたような気がします。そうして考えたら、もう優劣は付けれないです。お互

い違うところで、私にとっての魅力的な何かを持っている感じがしますから」

 うーん。これでも自分なりに言葉にした方だとは思うが、それでもうまく表現出来なかっ

たかな。

 沙久耶さんは私のその言葉を聞いて、何かを考え込む。

 そして突然一言、

「京の人格が1つになるかも、って言ったらどうする?」

「え?」

 すぐにはその言葉の意味が理解出来なかった。

 京の人格が・・・1つに?つまりは片方が消えるって事・・・。

「今の状態は片方の人格が出るのを拒んでる状態ってのは知ってるよね?で、今の状態

なら拒んでる方の人格を、すぐには無理だけど、少しの時間をかけて消失させる事が出

来るかもしれないんだよ」

「それは京君の人格が完全に消えるって事ですか?」

「少し言葉が悪かったかな。実際には『消す』ではなく、心の奥底に『閉じ込める』って事

になるはず。結果としてはもう表には出ないようにさせるから、『消す』でも変わりはない

のだけど」

 そうか。沙久耶さんはこれを私に言いたかったのか。

 多分私にこの話をしたのは、彼女としての許可を得るためなんだろう。

 しかしどうしても腑に落ちない事があった。

「・・・何で」

「ん?」

「何で人格を1つにしようとするんですか?今のままじゃダメなんですか?」

 私の質問を当然のように沙久耶さんは答えた。

「隠しても意味がないからはっきり言うけど、人格の入れ替えが何回も起きると脳に負担

がかかるためなのか、将来的に精神崩壊を起こす可能性があるらしいんだよ。もちろん

起きない人もいるけど、京がそうとは言い切れない。理想としては2つの人格が1つにまと

まってくれればそれが一番いいんだけど、いつそうなるか分からないし、そうなる前に精

神崩壊を起こす可能性もある。それなら今の機会をうまく使って1つの人格だけにしようっ

て家族間は考えているんだよ」

「京は知ってるんですか?」

「ううん。京にはまだ教えてない」

 まだ、という事はいずれ教えるって事か。

「明日香ちゃんの考えを聞いた上で最終的にどうしようか決めようと思ってる。今のまま

でいいなら私たちは何も言わないし、今の話を聞いて人格を1つにした方がいいと思った

ならそうするつもり」

 私は戸惑った。

「最終的に、って、そんな大事な事を私が決めてもいいんですか?」

 いくら私が彼女の位置にいるからって、それほどの決定権を任されるのはどう考えても

おかしい。

 そういうのは家族間で話し合って最終的には決めるものではないのだろうか。

 しかし沙久耶さんは私に決断を求める。

「うん。明日香ちゃんに決めて欲しい」

「何で・・・私が・・・?」

 理由を乞おうとするがそれに関しては堅く口を閉ざす。

 しかしわけも分からず、そんな大事な事を決める事は出来ない。

 絶対に理由を聞かなければ答えるつもりはなかった。

 それを沙久耶さんも私の表情から察したらしく、

「ゴメン。詳しくは言えないんだよ。ただ1つ言える事は、京にとって明日香ちゃんは初恋

の人であり、今までずっと一途に思い続けていた子だから。その子の決断ならどっちにな

ったとしても京は納得してくれると思う」

 やや納得出来る理由に聞こえるが、一番の理由ではないような気がした。

 そう。一番の理由は沙久耶さんが私には言えないとこにあると感じる。

 そこが気になるところだが、聞いても絶対に答えないだろう。そんな雰囲気が漂ってい

る。

 仕方なく、理由はあやふやだが真剣に考える事にした。

 今のままでいいのか。それとも人格を1つだけにするべきかを。  

 

 

 私は考えた。どっちにするべきか。

 しかし情けない話だが、私にはどっちも好きなのだ。だからどっちがいなくなるなんて考

えたくなかった。

 最近は京君に会いたくて堪らないくらいなのだ。それがこれからずっと会えなくなるなん

て事になったら・・・。

 そう考えると現状維持しか私の中で選択肢は無い。

 でも私はしっかりと分かっていた。

 これは私の私情がたくさん入った選択だ。そして本当は京の事を考えて出さなければ

いけない選択である事を。

 そうするならば、今のままよりは人格が1つになった方がいいのではないかと思う。

 しかし私の心は今のままでいいと切に願っているのだ。大きな変化が起こる事を恐れ

ているのだ。

 私は必死に悩んだ。一体どうすればいいのかと。

 そこへ沙久耶さんの優しく語りかけるような言葉が耳に入ってきた。

「あまり深く考えすぎないで。明日香ちゃんが強く願う方を答えてくれればそれでいいよ。

明日香ちゃんが望む答えを・・・」

 その言葉を聞き、私は結論を出す事にした。

 今のままの現状維持。

 それが私の出した答えだった。

 やっぱり私にはどちらも失うのは絶対に嫌なのだ。

 結局は私情から出た答えだったのだが、それを知った沙久耶さんは全く不快な顔など

せずに、ただ笑顔で「うん。自分に正直が一番」と言った。

 

 

 大事な話も終わり、公園を出て家まで送ってきてもらった。 

「ここまで送ってもらってありがとうございました。それと・・・」

「ううん。気にしないで。さっきの話を京に聞かれたくなかったからって理由で送ってきた

わけだし。それに明日香ちゃんの考えと答えをちゃんと聞けて良かった。ありがとう」

「そんな・・・お礼を言われるような事は全然・・・」

「ううん。感謝してるよ。弟を真剣に好きでいてくれてるって事に関してもね。実の姉に当

たる私へ正面から好きって言うくらいだもんね〜。あいつは幸せ者だな。あはは」

 今まで真剣な話をしていたが、最後は冗談を含めて笑顔で言ってきた。

 多分真剣な話はこれで終わりって意味で冗談を言ったのだろう。何となくそんな感じが

した。

「じゃあ私はこれで帰るよ。また近いうちに家に遊びでも来て。歓迎するからさ」

「はい。おやすみなさい」

 そう言いながら沙久耶さんは暗い夜道を戻っていった。

 

 

 

 

 

 今日は色々疲れた1日だった。

 勉強・尾行・決断。久しぶりに色々な頭を使った気がする。

 しかし今になって思う。あの決断で良かったのかと。

 でもあれで良かったんだ。あの時の想いが大事だったと思うから。
 

 

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