その日は何となく嫌な予感がしてたんだ。

　だっていつも通り一緒に下校しているだけなのに、さっきから麗華が妙にソワソワしてい

るんだもん。

　絶対あの事に関する話をしてくるに違いない。断言出来る。

　そして案の定、麗華は言ってきた。

「ねえ。明日って何の日？」

　その言葉に少し笑えた。だって今のセリフは僕が先月言ったセリフなのだから。

「知らない。何の日？」

　僕は同じように先月麗華が言ったセリフを返してみる。

　勿論ワザとだ。言いたい事は勿論すぐに理解している。というか、予測していた。

　そしてこの後麗華が起こす行動も理解出来た。だからすばやく一歩後ろに下がる。

　さっきまで僕の足があった場所へ麗華の蹴り足が空しく空を切り通過する。

　予想通り麗華は蹴ってきた。

　 いつもの怒ったときのパターンなので予測が容易に出来る。

「避けるな、バカ」

　しかし、足蹴りを避けたのは今日が初めて。この後は未知なる領域だった。

「ぐぉ！」

　だから次の行動パターンは予測する事が不能であり、僕は、麗華が思いっきり遠心力

をかけて回してきた鞄でゴンと頭を打ち抜かれるような衝撃を受ける事になってしまった。

それはもう、頭蓋骨が陥没したんじゃないかと思うほどだ。

　これならいつもの足で蹴られる方が何倍もマシである。今度からは足蹴りは避けないよ

うにしなくては。

「で、明日は何の日？」

　涙目になりながら頭を必死にさすっている僕に、麗華は何事も無かったかのように聞き

返してきた。

　彼氏相手に泣くほどな酷い事をしておいて全然罪悪感を感じていないご様子。

　今更ながら何で僕はここまでされても別れようと思わないのか不思議に思えてくる。

「三月十四日だから――ホワイトデーだよね。何？　プレゼントしろって言いたいの？」

　これ以上何かされるのは勘弁なので今度は素直に答える。

「でもさ、前に麗華言ったよね？　「私はキリスト教でないから、キリスト教の行事なんて

関係ない」って」

「それは言った覚えがある。けど、ホワイトデーはキリストに直接関係がないの」

「そうなの？」

「バレンタインデーは、昔のローマ皇帝が出した馬鹿な法令――恋愛による結婚禁止令

によって愛し合う者たちが結婚出来ない状態になってたわけだけど、それを哀れに思った

キリスト教徒『バレンタイン』が密かに結婚させてたんだ。でもその事実が皇帝にバレて

処刑。それが元でいつしかキリスト教のお祭りみたいな日になったの。で、今は愛の告

白や贈り物をする日になったわけ」

　それに対してホワイトデーは、愛し合う男女があらためて二人の永遠の愛を誓い合う日

であり、男から女に告白する日という事になってる。それとバレンタンデーのお返しとして

プレゼントをする日……。

　だから直接キリスト教とホワイトデーは関係していない」

　麗華は僕の知らないような事もさも当然のように言ってきた。

「何で結婚禁止令なんか出したんだろ？」

「その当時は戦争をやってたらしい。で、ローマ皇帝が若者らが戦争へ行かないのは伴

侶と別れる悲しみが嫌だからだ、と考えて結婚を禁止したと言われてる」

　時々思うのだが、麗華は変な歴史背景に詳しいと思う。だって興味無さそうなイベント

に関してばっかり知識が豊富なんだから。

　少し意外だった。てっきりペアのイベントだと思ってたから、ホワイトデーもキリスト関連

のイベントだと思っていた。

　でも確かに考えてみるとそうなのかもしれない。

　キリスト関連のイベントとしてバレンタインデーは有名であるが、それとペア関係にある

ホワイトデーではキリストという言葉を聞いた記憶がない。

　しかしだ。

「僕はバレンタインデーのチョコは貰ってないし、お返しする義理はないよね？」

　その直後。

　目の前が真っ白になった。

　数瞬、何が起きたのか理解出来なかったが、強烈な痛みが頭を襲ってきたために、頭

に何かが勢いよくぶつけられた事を理解した。さっきよりも三割増しくらいの威力だ。

　当然この衝撃の出元は麗華の鞄である。

　脳が揺らされたために意識が朦朧としている。きっとこの頭が割れたような痛みさせな

かったら気絶をしていたのではないのかと思う。

　頭の痛みが僕の意識を辛うじて繋いでいた。

「あ、ごめん。ちょっと腕の運動で振り回したら鞄当たっちゃったみたい。で、今何て言っ

た？　腕の運動に意識がいってて聞いてなかった」

　何か困るとすぐに実力行使に出る。ズルイ。

「……別に何も。ちゃんとプレゼントも上げますデス。心配シナイデクダサイ」

　ここで再び頭を殴られでもしたら本気で危険だと思った。

　だからもう何も無駄な事は言わないで、大人しく麗華の望むような答えを返す。

「プレゼントくれんだ。じゃあ楽しみにしてる」

　すると麗華が突然痛む僕の頭をナデナデとさすってきた。

　なぜだろう。そのさすり方からは愛情を感じてならない。

　だがその口から出てきた言葉は、決して愛情を感じられる言葉ではなかった。

「ホワイトデーのお返しは三倍返しが基本だから、私のあげた物よりも三倍くらい価値あ

るものをプレゼントしなさいよ」

　全く麗華ったら都合がいいんだから。

　家に戻り自分の部屋に入った僕は、ベットの上に寝転びながら軽く心の中で悪態をつ

いた。

　自分では「バレンタインデーのチョコじゃないんだから！」って言ってたくせに、いざホワ

イトデーになればちゃんとチョコのお返しをしろときたもんだ。

　でもそれについては元から返すつもりでいたから何の不満もない。

　しかしだ。

　もう少し素直に自分の思っていることを表現して欲しいと思う。

　いちいち強制されるような事をされると何となく不満だ。

　まぁ、そうやって素直になれない麗華が好きという僕も、心のどこかに確かにいるのは

事実なのだが。

　とりあえず麗華に対する考えは置いておくとして。

　うーん。僕は一体何を返せばいいんだろうか。

　僕を悩ませるのは麗華の言った『三倍返し』の事だった。

　当初の予定では、手作りクッキーとメッセージカードを渡せばいいかな、と考えていた。

　麗華のプレゼントの価値と同じくらいになると思ったからだ。

　だが、三倍の価値のある品物をプレゼントしろと言われてしまうと……途端に困り果て

てしまう。

　普通に考えて、金銭的に三倍くらいするものを渡せばいいのだろうか。

　そう考えてみるが、気持ちの篭った手作りチョコを金額で表すと一体いくらになるんだろ

うか。少なくとも材料代だけでは済まないはずだ。手間や気持ちの分も考慮しないといけ

ない。

　材料代を仮に千円――いや、正確な値段が分からないし、この際二千円としておこう。

　手間代で――いくらだろう。予想もつかないや。……時給制にして、二時間で二千円に

しておこうかな。

　気持ちで――これも予想つかないな。でも麗華相手だし、安く見積もると危険だ。じゃあ

いくらにしようかな。

……うーん。悩む。

　真剣に気持ちの値段を考えていた僕だったが、ふとそれが馬鹿な事に気付いた。人の

気持ちを値段にするなんて出来るはずが無い。出来るはずがないというか――そんな風

に金銭変換するのは普通する事ではない。

　麗華なら怒り心頭するだろう。

　馬鹿な思考から逸脱した僕は、再び冷静になって考え直す事にした。

　とりあえずは、麗華と同等のプレゼントはしたいと思う。手作りクッキーとプレゼントカー

ドだ。

　本当ならクッキーの表面にメッセージを入れたかったのだが、そんな事は僕には到底出

来ない。ただでさえクッキーの大きさが小さいのだから書くのは至難の技だ。

　あとはプラスαだが、それがどうにも思いつかない。

　去年に周りの女子から貰ってた時は、適当にその辺で売ってるようなホワイトデー商品

を買ってプレゼントしていたのだが、今回の相手は麗華だ。下手なプレゼントをあげたら

何をさせるか分かったものじゃない。ちゃんと選んで渡さなくては。

　 しかし好きな物を送ろうと考えても、麗華は何が好きなのかいまいち分からない。かな

り気分屋なところがあるからな。

　クリスマスの時には指輪――アクセを欲しがってたし、麗華の今時の女子に漏れずに

装飾物が好きだったりするのだろうか。

　前もって色々麗華の好みをしっかり聞いておけば良かったと後悔する。

　はぁ〜。本当に困ったな。

　あいつと別れた帰り道。私は考えていた。

　明日はどんなプレゼントが貰えるのかと。

　予想としては私と同じようなプレゼントを返してくるんだろう。クッキーとメッセージカード

だろうか。

　三倍返しをしろと言ってみたが、多分あいつは三倍分のプレゼントはしてこないだろう。
　
　別にそれはいい。期待していないから。

　貰えれば――それでいい。

　悪い癖だ。どうもあいつの前にいると傲慢な態度に出てしまう。素直になれない。

　きっと今頃プレゼントで色々悩んでいるんだろう。

　くれるように仕向けるだけだったはずがそれ以上の事をしてしまった。軽く自己嫌悪だ。

　私が欲しいものは何だろうか。今ならまだ走れば間に合うだろう。それをあいつに伝え

たい。

　しかし思いつかなかった。特に欲しいものなど無い。いや――あいつがくれるものなら　

　何でも嬉しいと思うのだ。

　あれこれ悩んでいると結構な時間が経っていたらしい。辺りは真っ暗になっていた。もう

追いかけても確実に間に合わない。

　だが悩んだ末に、私はとても欲しいものを思いついた。

　そうだ。アレを私は欲しい。すごく欲しいんだ。

「何これ？」

　それが第一声だった。

　麗華の手には『手作りクッキー＋メッセージカード＋銀製のネックレス』がある。僕が渡

したお返しのプレゼントだ。

「私と同じ」

「それは違う。麗華以上に心を込めてクッキー作ったよ。それにネックレスも――」

「馬鹿言うな」

　不機嫌そうな顔で僕の言葉を遮る。

「私がいっぱい気持ちを込めて作ったんだ。それ以上なんてありえない」

　麗華らしい傲慢な態度。だがその言葉からは健気さが伝わってきた。

　殴る蹴るは絶えないけど、言葉だけからすれば前よりも素直になってきたような気がす

る。

「私以上だって証明するなら他にもプレゼントする事あるでしょ？」

「他にも？」

　そう言われても思いつかない。昨日僕はプレゼントについて一生懸命考えたんだから。

　その結論として出たのがアクセをあげることだったのだから、他にもあると言われてもひ

たすら困るばかりだ。

「思いつかないけど……。何が欲しかったの？　僕があげれるようなものなら何でもあげ

るけど……」

　麗華相手に「何でも」というのは怖かったが、麗華を怒らせないためにはこう言うしかな

かった。

　ただ「分からない」って言ったなら、非常に痛い攻撃が飛んでくると容易に予想出来る。

　どんな事を強請られるのか内心ドキドキしていたのが、麗華は顔を赤らめさせて僕から

急に視線を外した。

　どうしたんだろうか。麗華らしくない行動だ。

「…………」

「…………えっと、麗華は何が欲しいのかな？」

　突然無言になった麗華に僕は声をかける。

　すると麗華は小さい声で何かを言った。だがあまりの小ささに何を言ったのか全然聞こ

えなかった。

　何度か聞き返してみたのだが、どうにも聞き取る事が出来ない。

　何度目かの聞き返しをした時、麗華はついにキレたように大きな声で叫んだ。

「だから！　私が欲しいのはあんたの唇なんだって！」

「え――」

　麗華は……今何て言ったんだろう。

　聞き間違えじゃなければ「僕の唇が欲しい」と聞こえた。

　しかし麗華がそんな事をストレートに言うはずがない。

　だからきっと今のは幻聴なんだろう。そうだ。そうに違いない。

「ごめん。僕疲れてるのかな。幻聴が聞こえたみたい」

　殴られるのを覚悟でもう一度何て言ったか聞く事にする。

　が、聞く前に殴られた。昨日と同様情け容赦無用で。

　さらには蹴りやエルボーなど多彩な攻撃を繰り広げる。

　痛いなんてもんじゃない。これは死ぬって。一撃一撃を手加減抜きでやられたらマジで

死ぬ。今回は冗談になっていない。

「ご……ん。ごめん……許して……」

　激しい痛みを堪えてやっと謝罪の言葉を捻り出した。

　攻撃がやっと止んだ時にはすでにあちこち打撲して傷だらけになっていた。もしかしたら

骨がまたイってるかもしれない。

「はぁはぁ……」

　珍しく麗華も息が切れている。普段はいくら攻撃しても平気な顔をしているのだが、今

日は余程エキサイトしていたんだろう。

　意識が朦朧としているために視界がぼやけにぼやけている。

　だから麗華の顔色をしっかり見る事が出来なく窺えなかったが、多分怒りの表情なんだ

ろう。

　しかし聞こえてきた声は怒り声ではなく、少し悲しげな声色だった。

「馬鹿。……せっかく勇気出して言ったのに……」

　痛みで意識が朦朧として倒れている僕に麗華は近づいてきた。

「くれないなら勝手に貰う」

　すると僕の唇に、自分の唇を重ね合わせてきた。

　柔らかい感触と暖かい温もりが唇から伝わってくる。

　信じられない事だった。

　さっき言った言葉は幻聴なんかじゃなかったのだ。

　本当に麗華の口から出た――本人が言った言葉だったのだ。