お祭りの日から数日後。
俺は唯と外で一度待ち合わせてから、あの約束通りに唯の家へと向かう事になった。
しかし待ち合わせ場所で待っている唯の姿を見た俺は、その場所へ行くのが躊躇われ
た。
待ち合わせ場所にいる唯の衣装は、その白磁の如き肢体と同じ純白のドレス衣装。シ
ンデレラが着ていそうな、腰から下の部分がワイヤー入りのバニエで綺麗に膨らんだや
つである。
それに加えて肘まである純白の手袋に、手には白いパラソル――日傘を差して待って
いた。
完全にどこかの国のお姫様衣装である。
どうやら夏の外出時は紫外線を反射する白がいいらしいのだが、こうも真昼間から人
の流れが激しい往来のど真ん中でそんな服装を着て立つ唯は激しく目立つ。
間違いなく周囲の視線を多く浴びる事になっていた。
道行く人すべてが唯に視線を一度はやっている。中には遠巻きにずっと眺めている人
もいるようだ。
完全に唯の立つ場所だけが違う空間になっている。
そんな場所に踏み込むのが俺は躊躇われた。
実際来た道を引き返そうという考えが一瞬頭の中に浮かんだのだが、約束もあるしどう
しようかと考えているうちに唯が俺を見つけた。
「おはよう、智幸!」
日傘を閉じ、ドレスの裾を持ち上げて唯は俺の方へ走り寄って来た。
「あ……おはよう」
すると当然の如く、さっきまでは唯だけに注がれていた好奇の視線が俺にも同様に注
がれる事になる。
学校内では慣れたはずの視線だが、こうやって老若男女揃う場所での好奇の視線は
普段とは違うために結構痛い。というか、限りなく、だ。
それはもう激しく居心地が悪い。
だが唯はそんな視線に慣れていて一切気にも留めていないようで、ただただ俺が家に
遊びにやって来る事が嬉しいらしく、終始「るんるん♪」という表現がまさにあうような上機
嫌だった。
『今度私の家に遊びに来て』
あの言葉には度肝を抜かされた。
そんな願いを言うなんて予想もつかなかったからだ。
付き合って。キスして。好きって言って。
そんな願いをするのかと予想していたために、本当にあの言葉には驚いた。
だがそれを言われてすぐに「はい」なんて言えなかった。その願いはその願いで色々問
題がある。
部屋で2人きりになって、もし何かの拍子で間違いが起こったら大変だ。
というか、俺たちのこれまでの流れ上、その確率がかなり高いわけだし……。
そういう事が無いにしても、唯の家というのは当然家族がいるわけで……いきなり顔合
わせなんてすごく気まずい。
俺たち別に付き合ってるわけでもないんだからな。
だから他の願いにしないかと提案したりもしたのだが、最終的には「約束は約束だよ」
の言葉に負けてしまい、渋々その願いを受ける事になったのだった。
「ここがお前の家なのか?」
「うん。そだよ」
唯に案内されて連れてこられた場所。
それは高い煉瓦の壁に囲まれ、鋼鉄製の門がそびえ立つ西洋風の建物――いわゆる
洋館だった。
歴史の教科書で見た事はあったが、実際に自分の目で見るのはこれが初めてでとても
新鮮な印象を受けた。
頑丈で重そうな門をくぐると広い庭があり、そこには様々な植物が育てられている。
庭だけでも普通の一軒屋が何件か建てられるくらいの面積がありそうだ。
中でも1番目につくのが、庭の真ん中に不自然に聳え立つ1本の大きな木。
「あれは何の木なんだ?」
緑の葉で生い茂っており、セミの鳴き声が絶え間なく続く大木を指差して聞いてみた。
「桜の木だよ。今は葉っぱだけだけど、春には綺麗な桜の花が満開になっていい眺めだ
よ」
そして「来年は一緒にここで花見したいね」と最後に唯は言った。
唯の後を追って庭を突っ切り玄関口までやってくると、ドアを開けられ家の中へと招き
入れられた。
玄関を入るとそこは大きな広いホールになっていた。
床には赤い絨毯が敷き詰められており、天井を見れば吹き抜けになっているために
2階の天井にある豪華なシャンデリアを見る事が出来る。
正面の奥には階段があり、その階段は途中で左右に分かれてどちらでも2階へ上がれ
るようになっていた。
どうやらこの洋館は、真ん中は吹き抜けで何も無く、壁側にすべての部屋が作られてい
る構造らしい。
なんだかすごい家だ。俺の家とは大違い過ぎる。
俺はその光景に圧倒されていた。そしてポツリと思った事が口から漏れる。
「お前って結構なお嬢様だったんだな」
よく考えれば色んな衣装を持っているんだもんな。あの衣装代はどこから出てるのか考
えれば予想出来なくもなかった事か。
玄関で驚きのために立ち尽くしていると、1階にあったドアの1つから誰かが出てきた。
現れたのはモデルみたいに美しく綺麗な女性。
流行の服をシックに着ており、それがとてつもなく似合っていた。
特に目立つのが唯や怜奈とは違い、肌の色が褐色な事だ。
日焼けサロンで焼いたような色ではなく、自然に焼けたような健康的な小麦色である。
その女性は俺たちの事に気付いたらしく、
「あれれ〜? 唯ちゃんが男の子を家に連れてくるなんて驚きだよぉ?」
不思議そうな顔をして近づいてくる。
「あれ? 何で佐祐理(さゆり)姉様がここにいるの?」
どうやらこの女性は唯の姉らしい。
肌の色は違うものの、どことなくやっぱり似ているところがあるように感じる。
「何でって、ここは美坂家の家なんだから、その家族である佐祐理がいても全然おかしく
ないでしょ?」
「それはそうだけど、今日帰ってくるなんて聞いてないよ」
「だって言ってなかったもん」
そして視線を唯から俺に移し、舐めるように頭の先から足の先まで見始める。
一通り見終わると再び視線を戻し、唯に当然の如く聞いた。
「ふふ〜ん。この子、唯ちゃんのカレシさん?」
「うん。そうだよ」
「いや、違うだろ。付き合ってないから」
即答。それはまさに即答だった。
唯は当然の如く肯定の答えを口に出していた。
いつの間に付き合った事になっていたんだろうか。
「そうかそうか。佐祐理たちの大事な唯ちゃんもついに他の人のものになってしまったの
ね。寂しいような嬉しいような。佐祐理は今、そんな複雑な気持ちだよぉ〜」
そう言いながら、佐祐理さんは唯にガバッと抱きつく。
もしかしなくても俺の言葉は流されたようだ。
そして俺は唯の彼氏とバッチリ認識されたらしい。
「唯ちゃんのカレシさんならちゃんと挨拶しとかないとだね。名前は美坂佐祐理。唯ちゃん
のお姉さんです。身長は165センチの、体重は――やっぱり秘密かな。歳も秘密だけど、
特技の特殊メイク技術を生かした仕事をしてます。結構あちらこちらから仕事の依頼が
あるから、普段はあちこち飛び回っててなかなか家には戻って来れないのがツライとこな
んだよね。でも好きな事をやれてるからそれも苦じゃないかな。あとは……」
この後も延々と好きなドラマとか食べ物とかの話が続いた。途中からお見合いでもして
いるのではないかと錯覚し始めるくらいだ。
「……なんだけど……って、なんか疲れてきちゃった。声もうまく出なくなってきたし、今日
のところはこれくらいで終わりにさせてね」
15分くらい一方的に喋り続けていただろうか。やっと喋り疲れた佐祐理さんが自己紹介
を終えてくれた。
延々喋る方も疲れるだろうが聞いてるこっちもかなり疲れる。しかも疲れなければまだ
自己紹介は続いたのかと思うとかなり怖い。
しかしこれがこの人なのだろう。慣れているためなのか、唯は全然疲れた風には見え
なかった。
今度は俺が自己紹介をする。
しかし佐祐理さんのように延々自己紹介を出来るような人間ではないので、簡潔に無
難な自己紹介をした。
「智幸……君ね。よし覚えた。じゃあトミーだね」
「はい?」
さらっと変なあだ名をつけたな、この人は。トミーなんてあだ名初めてつけられたぞ。
てか、なんかそのあだ名は嫌だ。
「普通に名前を呼んでくださいよ」
苦笑交じりに非難の声を上げてみる。
それと同時に、
「そうだよー。いくら佐祐理姉様が外人好きだからって、私の智幸に外人チックな名前は
つけないで欲しいな〜」
唯も非難の声をあげていた。
って、だから俺はお前のものじゃないから。いくら言ってもこれだけは聞かないな、こい
つは。
俺が心の内でやや納得がいかないと思っている時、もう一人、ある事に納得がいかな
いと思っている人がいた。
もちろん佐祐理さんである。
自分のつけたあだ名を拒否されて「2人して嫌がらなくてもいいのにな〜」みたいな不満
げな表情をしたのだ。
だがそれも僅かな時間だけで、すぐに苦笑交じりの笑みに変わった。
「分かった分かった。じゃあ普通に智幸君って呼ぶ事にするよ。ところで……」
また佐祐理さんの表情が変化した。
今度はニヤリという表現がピッタリのげひた笑み。
なんかとてつもなく嫌な予感をヒシヒシと感じる。
「唯ちゃんはもう食べたのかな?」
「…………は?」
一瞬、意味不明の質問に呆気に取られる。
しかしすぐにその言葉の意味するところを理解した。理解すると同時に思わず顔が
赤面してしまった。
恥ずかし紛れに隣を見ると。唯も同様に赤くなっていた。
何をいきなり言い出すんだこの人は。せっかく変な想像しないようにしていたのに今の
で台無しだ。
そんな俺たちの赤くなる顔を見て佐祐理さんは満足そうな笑みを浮かべる。
「あはは。ごめん。ちょっとからかっただけ。まあその様子からしたら、まだ唯ちゃんを
イタダキマスしてないみたいだね。佐祐理の予想するところ、キス止まりかな?」
心が混乱している状態だったために、図星をつかれて思わず正直にビクッとしてしま
う。
「ふふふ。素直な君は可愛いぞっ」
そんな心の動揺がバレてしまったようだ。可愛く鼻をチョンっと突付かれてしまった。
佐祐理さんはその鼻を突付いた手でそのまま俺の頬を軽く掴むと、もう片方の手も
俺の頬へ持っていって自分の元へ顔を近づけさせようとする。
徐々に近づかされていく俺の瞳には、佐祐理さんの瞳が妖しい光を発しているように見
えた。
「――佐祐理姉様!」
唯が大声をあげ、佐祐理さんから突然俺を引き離した。その速さはまさに電光石火。
急に逆方向へぐいっと引っ張られてビックリした。軽く鞭打ちになったかも。
「あらら。意外と独占欲強いんだね」
さっきまで俺の頬を持っていた両手を名残惜しそうに見ながら呟く佐祐理さん。
「だって今の目は危険だったんだもん。年下好きなのは構わないけど、私の智幸を奪お
うとしないで!」
「うーん。佐祐理も結構智幸君みたいな子がタイプなんだよね。どう? お姉ちゃんと奪い
合いしない?」
「佐祐理姉様! いくら姉様でも怒るよ!」
「あはは。怒らないで、唯ちゃん。軽い冗談だからさ」
真剣に怒りだした唯に少し怯えたような顔をしながら謝る佐祐理さん。
口では冗談と言っているが、少ししか接していない俺でもさっきのは本気で言っていた
と理解出来た。
なんていうか、この佐祐理さんは唯とは全然違うな。唯を白で例えるなら、佐祐理さん
は黒だと思う。
その証拠に唯に謝りながらも俺に向かって、
「唯ちゃんとキス以上の関係になりたくて、もし自分のテクニックに自信ないようなら私の
とこにおいでよ。女の扱い方を手取り足取り実演も絡めて教えてア・ゲ・ル♪」
そしてウインクなんかもおまけで飛ばしてきたのだ。
「――佐祐理姉様!」
「あはは〜♪」
その言葉を聞いて赤面しながらさらに怒る唯と、笑いながらさっさとその場から逃げ出
す佐祐理さん。
そのまま2人はどこかへ走り去ってしまい、俺は1人ポツンと取り残されてしまった。
はぁ〜。何かもうドッと疲れた。
家族のいる家に行くという事で緊張してこの家にやってきたわけなのだが、すでに玄関
で俺の緊張の糸がプッツリと切れてしまった。
もうこのまま帰っていいかな、俺。
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