「はい、ご主人様ぁ。お紅茶をどうぞですぅ」
唯がお盆に載せて持ってきた紅茶のカップとケーキを俺の目の前にあるテーブルの上
に置いた。
そしてもう1つあったカップとケーキもテーブルの上に置き、唯は俺と向き合うようにテー
ブル越しに腰を下ろす。
俺は呆れてしまい突っ込む気が起きなかった。
唯の行動にはもちろん呆れていたのだが、今回は自分に対しても呆れていた。
何でメイドなんて言ってしまったんだろう。メイドに関しては前科があったのに……。
あそこは「執事」とだけ言っておけば良かった。下手に疑問を持ったのが失敗だった
な。
出された紅茶を飲みながら心の中で反省をする。
ちらりと唯を盗み見してみると、こちらを見てにこやかな笑みを浮かべていた。
ちょうど唯と目が合ってしまったため、すぐに俺は目を逸らした。
「どうしたんですか? ご主人様ぁ」
「何でもない。ただ部屋を見ていただけ」
素っ気無い返事で誤魔化す。
すると唯は紅茶を口に含み、少し遠い目をして俺に語りかけてきた。
「この服覚えてますかぁ? 私が初めてご主人様のために着た服なんですよぉ。私の大
切な宝物の1つですぅ」
「やっぱりそうだよな……」
俺もさっき見た瞬間から気付いていた。
初めてあの姿で唯から告白されたために、その姿はよく脳裏に焼きついている。あれ
は突然の、不意打ちの、ショッキングな出来事だった。
同時にあの頃の果てしない気苦労も思い出されていく。
あの頃は周りの目が怖かったよな。みんな敵対心持って俺を影から睨みつけてくるん
だから。ホントに参った。
今でこそ周りが俺と唯を認めてくれているようなので助かるのだが、今でも昔みたいな
気苦労が続いていたとなると……今頃、俺の頭は寂しい事になっていたかもしれない。
若いうちからアデランスのお世話にならずに済んでホントに良かった。
「どうですかぁ? 似合いますぅ?」
テーブル越しに体を前に傾け聞いてくる。
そうやって不用意に俺に顔を近づけてくるような動作をされると、この前の事が脳裏を
よぎって緊張してしまう。
ただでさえ2人きりでこの場にいるのだから……。
「ああ……似合ってるんじゃないかな……」
反射的に俺は体を後ろに反らせながら答える。
すると唯は目を見開き驚いた表情を作った。
「あれれぇ? ご主人様はこの姿に文句を言わないんですかぁ?」
「……え?」
驚いた。まさか唯からそんな言葉が出るとは思っていなかった。
「前に言ってたじゃないですかぁ。『俺はメイド服なんか着て側にいられるのは嫌なんだ。
それに「ご主人様」なんて呼ばれるのも嫌なんだよ』って。だからてっきり「すぐに着替え
てこい」って言われると思っていたんですけどぉ、何も言わないですよねぇ?」
「えーっと……」
……全然記憶に無い。が、そんな事言ったような気がしなくも無かった。
それが本当だったとしても今は全然嫌じゃないな。
むしろ似合ってて可愛いし、「ご主人様」って呼ばれるのもどこかむず痒いが、別段悪く
ない響きにも思えていた。
多分、昔の俺の理屈はもう通用しなくなっていると思う。今の俺は唯色に染められてい
ると思うから。
「まあいいんじゃないか? 学校でその格好されると迷惑だけど、家の中でなら問題無い
さ」
「そうなんですかぁ。良かったですぅ」
でも素直な思いを伝えるのが恥ずかしい俺は、わざと違う理由で納得させた。
しかしそう言った手前でなんだが、メイドの唯と会話をしているとどうも違和感を感じる。
唯本人には違いないのだが、メイドとしての唯の話し方が妙に甘ったるいせいか、まる
で別人と話しているような気持ちになってくるのだ。
その旨を唯に伝えてみる。
「でも、その喋り方はちょっと……こう……違和感があるかな……」
「そうなんですかぁ? それならこれでどうですかぁ?」
唯は右手を後ろに回して何かを取り出す。
そして左手で頭につけていた白いヘッドドレスを素早く外し、変わりに右手に持っている
物を頭に乗せた。
唯の頭に乗せられたもの。それは猫耳だった。
黒いカチューシャの左右に猫耳が付いており、中央にはさっき外したような白いヘッド
ドレスが付けられているものだ。
さらにエプロンのポケットからチリンと澄んだ音色を奏でるものを出し、それを首にかけ
た
。
音色を奏でているものは――もちろん鈴である。
そして最後に立ち上がり、くるりと一回転すると後ろにはいつの間にやら尻尾までが
付けられていた。
その姿はそう――どこからどう見ても、猫耳メイドだった。
「ご主人様。これでいいかにゃ?」
猫のように手を丸めて頬をかく動作をしながら、満足げに猫耳メイドになった唯は俺に
聞いてくる。
仕草もそうだが、言葉もすでに猫を連想するような口調だった。
「……はぁ」
今度はそうくるのか。なぜ素直にメイド姿をやめないんだろう。
確かに俺は甘ったるい喋り方に違和感があると言ったが、本当に口調しか直さないと
は……。なかなか唯も考えるな。
……てか、用意周到過ぎる。まさか行動パターンを読まれていたのだろうか。
俺はそんなに単純な思考をしているのか?
「まだ不満なら肉球もつけますかにゃ?」
「いや、もう結構。そのままでいいや」
「分かったにゃ〜」
そして再び唯は腰を下ろした。
「お前って色々衣装持ってるよな。どれくらい持ってるんだ?」
これは前々からずっと不思議に思っており、聞いてみたかった質問だった。
それともう1つ、何着もあるその衣装代についても聞いてみたかったのだが、それは聞
くまでもなくもう解決済みのようなもの。
お嬢様な唯だ。衣装代に困る事は無いんだろう。
「ん〜、何着なのかにゃ? 正確には分からないにゃ」
可愛く人差し指を頬に当てながら考えた唯だったが、どうやら本人にも把握出来ていな
いらしい。
「そんなにあるのか?」
「クローゼット見るかにゃ?」
唯は立ち上がると引き戸の前に立ち、俺に向かって招き猫を彷彿させるような格好で
手招きをする。
引き戸の前に移動すると、唯は勢いよく引き戸を引いた。
そして俺の目に飛び込んできたその光景。
「うわあ〜」
引き戸の向こうは凄かった。かなり凄かった。とてつもなく凄かった。
何が一体それほど凄いのかって聞かれれば、その衣装数だろう。部屋中に衣装がか
けられており、確かに把握出来る量ではない。
だがそれ以前にクローゼットの広さが異常だった。いや、もはやクローゼットと呼ぶもの
おこがましい。もはや衣装部屋と呼べる広さだ。多分唯の部屋と同じ程度の広さがある
と思う。
中を見回してみると、色々な衣装がそこにはあった。
セーラー服。バニー服。メイド服。ゴスロリ服。ナース服。サンタ服。……などなどその
他大多数。
もはや引き戸の向こうは小さなお店としてもやっていけそうな勢いだ。
「……すごい数だな」
感想はその一言に尽きる。
よくもまあこんなに数を揃えたもんだ。呆れながらも感心してしまう。
「これでも少ない方にゃ。 前は兄様が「仕事で必要だから譲ってくれ」って言うから少し
ずつ渡していたにゃ。でも最近は全く渡してないから徐々に貯まってきてるにゃ」
こんなにあるにも関わらず少ないと言える唯が凄いと思う。
しかし仕事でコスプレ衣装が必要って、唯の兄はどんな仕事なんだろうか。すごく気に
なる。
まさかブルセラショップで働いているなんてこと無いよな? ……何となくあり得そうで
怖いが……。
引き戸の前で目に飛び込んできた様に呆然と立ち尽くしていた俺に、唯は「すごくいい
事を思いついた」というような笑顔になった。
「そうだにゃ。せっかくだから智幸に質問するにゃ〜」
「何を?」
「ここには服がいっぱいあるにゃ。この中でご主人様はどれが気に入ったにゃ?」
唯は衣装部屋の中へ入ると、くるりと一回転。俺と向かい合い、衣装をバックに両手を
広げて聞いてきた。
「どれが、って言われても困るぞ。自分が着るわけじゃないんだし」
そうは言いながらも、どんな衣装が並べられているのか見たいと思った俺。
対面的にはさほど興味無さそうなフリをしながら、内心では興味津々に部屋の中を歩
いて見て回る。
入り口から見ただけでは衣装しか見えなかったが、奥へ入っていくと着ぐるみなども並
べられているのに気付く。あの懐かしのユイチュウの着ぐるみも見つけた。それほど時間
は経っていないはずだが、随分昔の事に思える。
他にも色々見覚えのある着ぐるみが多数並べられており、どれも精巧な出来栄えだっ
た。
「これって全部買ってるんだよな? どれも結構高いんじゃないのか?」
後ろからとことことついてくる唯に聞いて見る。
すると唯は意外にも「分からない」と答えた。自分自身で衣装を揃えているわけではな
いと言う。
詳しく聞いてみると、多少は買ってきた物や譲ってもらった物もあるようだが、ここに並
べられている衣装のほとんどは怜奈が作っている、と言うのだ。
これには驚いた。まさかあの怜奈が作っていたとは。小さいのにすごい。
唯曰く、「美坂家の家族はそれぞれ特化した特技を持っている」らしい。
つまり俺の分かってるところで言えば、唯の場合はコスプレ演技で、佐祐理さんの場合
は特殊メイクで、怜奈の場合は裁縫という事なのだろう。
何だかすごい家族である。
そんな話をしながら歩き回っていると、入ってきたドアとは反対方向にも引き戸のドアが
あった。
「あの向こうは何があるんだ?」
さっき廊下から唯の部屋まで歩いていった距離を考えれば、まだこの先には部屋があ
るはずだった。
「この向こうは怜の部屋にゃ。怜が服を作り終えたらこの部屋に飾っておいてくれるにゃ」
「へぇ〜」
この向こうもきっとすごい広い部屋なんだろうな。
そう軽く思って視線を再び衣装の方へ戻すと、俺は信じられないものを見た。
「おお――――っ!」
「それが……どうかしたかにゃ……?」
突然雄叫びを上げた俺に少し困惑しながら唯は恐る恐ると言った感じで聞いてきた。
俺の目に飛び込んできたのは、特撮ファンには幻と謳われた原案段階で没となったは
ずのヒーローコスチュームだった。
それは仮面ライダーとウルトラマンを足して2で割ったような姿をしており、設定では変
身する主人公が女で体長35メートルくらいの小柄な変身ヒーローだったはずだ。名前は
確かセリアンだったはず。
一時期は女性が変身するヒーロー物で話題となったらしいが、制作費問題で没となっ
たと聞いている。
まさかそんなレアなコスチュームがこんな場所にあったとは……。
「これも怜奈が作ったのか?」
セリアンのコスチュームを指差しながら聞くと、唯は違うと否定した。貰い物らしい。
正確には唯の父親が誰かから譲り受けたのを、唯が父親からプレゼントとして貰ったも
ののようだ。
真剣に角度を変えてじっくりと見る俺。これはあ特撮物好きにはかなり欲しかったりす
る一品であり、例外にも無く俺も欲しかった。
「これ気に入ったにゃ?」
あまりに真剣に見ていると、そう唯は聞いてきたので「ああ、かなりいいな」と答える。
それを聞いて唯は人差し指を顎に軽く当てて何かを考えると、何かを決意したような顔
を作る。
そして唯は宣言した。
「分かったにゃ。2学期からはこれを着て学校に行くんだにゃ〜!」
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