今現在、唯はすごく怒っている。俺の知っている中で一番怒っている。
いつもなら頬を子供みたいに膨らませて怒るので、怖いというよりも可愛く見えていた
のだが、今の怒っている唯は普通に怖かった。
怒らせた原因と言うのが、さっきの繋がった赤い糸を俺が『解く』のではなく、途中で『切
って』しまったからなのだが、そうしたら唯が「運命の赤い糸を切った!」って叫び、容赦
無しの強烈なビンタが飛んでくる事となった。
予想にもしなかった事に、俺は何が起きたか一瞬分からなかった。だが、自分の頬に
感じる強烈な痛みと、目の前で涙を浮かべながら怒る唯を見て、唯を怒らせた事を俺は
知った。
それも本気で怒らせた事を、だ。
そして唯は何も言わずにその場を走り去って行ってしまった。
俺は軽い気持ちで切っただけだったのだが、まさかあそこまで怒るなんて。
唯には悪い事しちまった。早く探して謝らないとだな。
しかしここは広いし、今日の唯は目立つ格好ではない。あまりに時間を空けると見つけ
ることも至難の技だ。一刻も争うような事態のために、彰が戻ってくるまで待つわけには
いかない。彰には悪いと思いながらも、俺は即座に唯の走り去った方へ向け走り出し
た。
急いで追ったつもりだったが、どこにも唯の姿は見当たらない。それでも俺はあちこち
走り回った。
どれくらい探し回っただろうか。どこに行ったのかも分からず、ただ闇雲に走り続けてい
たために、悔しいが唯を見つける前に体の限界がやってくる。この暑さで普段以上に体
力の消耗が激しかったのだ。
仕方ないので俺は近くの――偶然にもさっき俺が唯と別れたベンチに座る。
周りを見回してみるが、彰の姿は見当たらない。俺を探してどこか他の場所を探してい
るのだろうか?
でも集合時刻はちゃんと決めてあるし、それほど心配はしてない……かもな。
自分をそう納得させ、体力を少しでも早く回復させようと、目を閉じて体をリラックスさせ
る。
「ふぅ〜。唯はどこに行っちまったんだろ。さっきの事謝りたいのにな」
目を瞑ると思い出す、唯のあの泣き顔。思い出せば思い出すほど、絶え間無く罪悪感
が押し寄せてくる。
少し無神経過ぎたかな。いつものノリでやったつもりだったんだけど…。
今度からもう少し唯の事も考えて、優しく接した方がいいのかもしれないな。とはいえ、
唯の考えとかってまだ理解しかねるところがほとんだけど。
「見つけた」
不意に声が聞こえた。俺の探していた人物の声だ。
ゆっくり目を開けて、自分の前にいるであろう人物を恐る恐る見上げる。
「……唯」
その顔はもう泣いていないが無表情であり、どんな感情を内に秘めているのか読む事
は出来なかった。
「さっきは悪かった。あそこまで怒るとは思ってなかったんだ。今は反省してる」
唯が何かを言う前に俺は謝った。
さっきのは完全に俺に非があったのだから、当然だ。
そして唯の言葉を待つ。
「ううん。智幸が謝る事ないよ。私が勝手に赤い糸を結んだんだもんね。だから智幸が拒
否をして糸を切ったのも無理ないよ。ただそれを見たら急に悲しくなっちゃって・・・ね」
作り笑いと分かるぎこちない笑みでそう言うと、それっきり唯は口を閉ざした。
「俺が悪かったんだ。お前の気持ちを知っていたのに……俺が無神経だったから……」
「そんな事ない。私が――」
「俺が――」
互いに自分の非を譲らない。そんな会話が幾度と無く飛び交った。
このままでは埒が明かないと感じた俺は、
「もう『2人とも悪かった』でいいだろ? 無駄な言い争いは止めようぜ」
すると唯もまだ少し納得いっていないようだったが、それでも俺の提案に従った。
仲直りの意味も込めて、俺たちは2人でアトラクションを回る事にした。いわゆる「遊園
地デート」ってやつだ。
前も学校外で2人の時もあったのだが、その時はデートには程遠いものだった。しか
し、今日のはまさしくデートである。初めてのデートという事もあって、唯の機嫌もすでに
いつもの調子に戻っていた。むしろヒートアップしている感じだ。
歩き始めた時は手を繋ぐ程度だったのが、いくつかアトラクションを乗った今では俺の
右腕にしっかりと掴まり歩いている。
周りにも他のカップルたちが同じような事をしているのだが、俺自体にこんなが経験な
いので正直恥ずかしかった。それに腕に唯の胸の感触が伝わってくるので、どうも落ち
着かない。
そんな俺の心情に気付かない唯は、ただひたすら俺とのデートを楽しんでいた。
そろそろ日も暮れ始め、あちこちのイルミネーションがライトアップされ、幻想的な世界
へと変わり始めていた。
ライトアップされたという事は、俺のタイムリミットが近いことを示す。
「あと1時間くらいで俺は帰らないといけないや」
「はぁ〜。残念だな。まだまだ遊び足りないよ」
「仕方ないさ、こっちは迎えがあるしな」
「じゃあさ、私の部屋に今日は泊まらない?そうすれば明日もここで遊べるでしょ。うん。
それがいい。そうしよう。決定ね!」
勝手に提案して勝手に決めようとする唯。
ちなみに唯は明日もここでMCのお姉さんをやるために、隣のホテルに部屋を取ってい
るのだ。そして唯は今、俺をその部屋に連れ込もうとしているのだった。
まあ唯の事だから純粋に誘って…いや、案外分かって言ってるのかもしれないな。
ともかく俺の答えはNOだった。
「それなら最後にあれ乗ろう!」
唯が最後に乗ろうと言って指さしたのは、イルミネイションによって華麗にライトアップさ
れた『大観覧車』だった。
「うわ〜。こうやって上から眺めると、あちこちにイルミネイションの明かりが灯ってて綺麗
だよね。そう思うでしょ?」
「ああ」
唯に引っ張られる感じで大観覧車まで誘導され、この大観覧車に乗る事になった俺。
観覧車に乗ると、唯はすぐに窓に張り付いて外の景色に見惚れた。
確かに唯の言うように素晴らしい夜景ではあるのだが、俺はあまり景色を見る余裕が
無かった。
高所恐怖症ってわけではない。今いるこの場所に問題があるのだ。
観覧車の中は外界から切り離された密室状態である。その中で2人きりだと考えると、
必要以上に意識してソワソワしてきてしまうのだ。
何でそれを乗る前に気付かなかったんだろうと今更ながら思う。
気付いていればこれに乗るのを抵抗したのにな。
……それでも最後は乗ることにはなったんだろうけど。
「ねぇ。せっかくこんな綺麗な景色が見れるんだよ? もっとしっかり見ないと損だよ」
するとさっきまで向かい合って座っていた唯は俺の隣に移動して、一緒に景色を見よう
と密着してきた。
その動作に俺の心臓が大きく波打つ。
近寄りすぎだ。頭の中が真っ白になってくる。
そんな俺の心の内を知らない唯は、外の景色について語り続ける。
「あっ、見て見て。あそこハート形にライトアップされてるよ。出口の方にあるし、後で行っ
てみよっか」
「ああ」
「あっちの方も綺麗だよね〜」
「ああ」
「……ねえ、キスしよっか」
「ああ」
ん? ……しまった!
"心ここにあらず"のカラ返事をしていたせいで、とんでもない事をOKしてしまった。
「ちが――っ!」
すぐに訂正しようとしたが遅かった。
気付いた時には唇と唇が触れ合っていたのだ。
今まで感じた事のないような柔らかさと温もりを感じた。
離れようと思えばすぐに離れられる。でも離れようって気になれなかった。
それに本当の許可なしにキスをされた事への怒りも全然感じない。なぜか分からない
が、自然と今この時を受け入れている俺がいた。
そして、どれくらいの時間唇を重ねあっていたのかは分からないが、大観覧車の終着
点が近くなったところで、自然とお互いの唇が離れたのだった。
大観覧車を降りると彰との集合時間が間近に迫っていた。
「えっと…そろそろ時間だし…入り口に俺戻らないと…」
「あ……うん。そうだったね。途中まで一緒に行くね」
どうも恥ずかしくて、真っ直ぐ唯が見れなくなってしまった。
それはあっちも同じようで、今は腕に抱きつくのではなく、軽く手を握って歩いている状
態である。
さらには入場口に戻る途中での会話が一切無かった。
その沈黙が気まずいのだが、さっきの事を妙に意識してしまっているために、うまい会
話が見つからない。
いや、普段のほとんどの会話は唯から始まっていたのだから、今この場で全然会話が
ないのは、唯も俺と同じような気持ちになっているからかもしれない。
もう少しで入場口ってところで、唯はまだここにいないといけないらしく、別れる事になっ
た。
「今日は色々楽しかったし……嬉しかった……」
念を押すように、ゆっくり唯は言った。
「そうだな」
「じゃあ…またね」
「ああ。またな」
しかし別れの挨拶は済ませたものの、唯は下を俯いたままの状態で、握っている手を
離そうとしなかった。
そのままの状態で唯は俺に聞いてきた。
「…さっき…離れようと思えば離れられたのに、何で離れなかった…のかな?」
唯の言う「さっき」というのは、観覧車での事だろう。
しかしそれは自分でもよく分からなかった。
あの時は冷静に物事を考えていられたと思う。しかし拒否をする事なく、自然とそれを
受け入れていた。
夜の2人きりの観覧車、という雰囲気のためだったのだろうか。
「ねえ、何でかな?」
俯いていた顔を上げ、俺の目を見て真剣に聞いてくる。
その真剣な目に飲まれ、俺は思っている事をそのまま答えた。
「何でだろうな。ただ、嫌な感じはしなかった。それが自然なように感じたから――」
唯が突然俺の胸の中に飛び込んできた。
そのために言葉が途中で中断される。
しかし唯は俺の胸に顔をうずめるだけで、何も喋らない。
「どうしたんだよ?」
「今、すご……くて、嬉し……胸が、いっぱ……なっちゃ、った」
胸に顔をうずめた状態で唯は言った。その声はややくぐもっており、正確には聞き取れ
ない。
「泣いてるのか?」
すると唯は勢いよく俺の胸から顔を離し、そのままくるりと背を向けた。
「ううん、泣いてないよ。それは、智幸の、気のせい」
本人はそう言うものの、その声はまだ涙声だった。
この位置からは唯の背中しか見えないが、きっと唯の正面に立ってその顔を見れば泣
いているに違いない。
しかしわざわざ泣き顔を見ようなんて無粋な事はしない。
それでもこの場を何とかする手立てを思いつかない俺は、少し申し訳ないと思いながら
も、
「そっか。それなら俺はもう時間だし行くよ。またな」
「うん。またね」
そして俺は唯と別れ、彰たちとの集合場所に向かっていったのだった。
集合場所に急ぐと、そこにはすでに俺以外の全員が集まっていた。
どうやら全員お土産をすでに買ったらしく、両手にビニール袋や紙袋があった。
「あっ、来た来た。こっちだよ〜」
俺を見つけた彰が手招きをして俺を呼び寄せる。
俺がみんなのいるところに着くと、彰が間髪入れずに口を開いた。
「智幸酷いよな〜。僕を置いてどこかへ勝手に行っちゃうんだからさ〜」
いきなり愚痴がきたか。
まあ理由が何にしろ、置いてきぼりにしたのは事実だし、言われても仕方ないか。
それなので「悪かった」と謝ろうとしたのだが、
「でもまぁ、智幸がいなかったおかげですごくいい事があったから許すけどね」
彰はとても幸せそうな――気味の悪い笑みを浮かべて急に愉悦に浸り始めた。
多分『いい事』って出来事を、頭の中で回想しているだろう。
うーん。気味が悪くて謝るタイミング逃したな。でもまあ気にしてないみたいだしいっか。
「で、いい事って何?」
「ひ・み・つ☆」
「……うぷっ、激しく吐き気が込み上げてきたぞ……」
さすがに今のは精神的にダメージ大だ。
唯が言うならまだしも、彰がそのセリフを吐くとなると気味が悪すぎる。
ほら、その証拠に鳥肌が立ちまくりだ。
あまりの気味の悪さで、普段なら突っ込んで聞くような事にも関わらず、一気に聞く気
が失せてしまった。
しかしあそこまで彰を有頂天にさせた出来事は何だったんだろうな。気になるといえば
気になるものだ。
唯にキスされるなんて思ってもみなかった。
それも夜景をバックにした2人きりの観覧車の中で、だ。
抵抗しようとしなかったのは――観覧車がキスをするスポット――ムードのせいだった
のだろうか。それとも俺は唯の事がやっぱり……。
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