部活見学を幸子とする事となり、私は幸子の後をついて廊下を歩いていた。
「それでまずどこを見学しに行くの?」
「まずは料理部に行きましょう。あっちゃんも多少なりと興味はあるでしょう?」
幸子は私に向かって意味ありげな微笑みをしながら言ってきた。
つまりは、料理が出来ない私に対しての軽い嫌味なのだろう。
「別に嫌味で言ったつもりはないんですけどね」
「うっ、何で思ってることが分かったんだろう」
「長い付き合いですから。それくらいは表情で分かります」
とりあえず、まずは料理部か。
料理なんてロクに作ったことがないので、将来の事を考えれば入って損はしない部だ
と思う。むしろ私にとってはかなりのプラスになる。
しかし幸子はすでに料理は出来るんだし、あまり入っても意味がないような気がする
のだが・・・。
「私が入るならまだしも、幸子が料理部に入る意味ってあるの?」
「もちろんですわ。家で1人作るのは寂しいですし、せっかく料理を作るなら誰かと一緒
に作ったほうが楽しいのではなくて?」
「なるほどねー」
料理部の活動の場である調理室に来ると、20人くらいの料理部員たちが三角巾とエ
プロン姿で、材料や器具を用意して調理を開始し始めた。
清廉高校の調理室には全部で13個の調理テーブルがあるが、その1つは教師用な
ので、実際に生徒が使える調理テーブルは12個である。
しかし、部員の人数が少ないために6個のテーブルに分かれて3〜4人で調理をする
ようだ。
部員たちを見ると、ジャガイモや人参の皮むきをしたり、玉ねぎを切ったりしている。
「あれで何作るのかな?」
調理室の廊下からガラス越しに見ながら幸子に聞くと、
「あれはカレーでしょう。初心者もいるので定番なものを作ってるようですね」
「なるほど」
そのガラス越しから見る私たちに気付いて、1人の部員がやってきた。
「あなたたち。ここで何してるの?入部希望者?」
「あ、いや。ちょっと部活見学をしてるんです。それで今はここを見てたんですけど」
やってきたのは上履きの色から見て3年生の人だった。
この高校は1年が青、2年が緑、3年が赤の上履きを履いているのだ。
ショートヘアーの似合っている人で、眼鏡をかけているためもあり知性的に見えるが、
その反面頭の固そうな人に見えなくもない。
この人が料理部の部長なのかな?
その人は私たちが見学していると聞くと、
「そうなんだ。良ければ一緒にやってく?ただ見てるより実際にやった方が楽しいし、部
活の雰囲気が掴めると思うよ」
「でもそんないきなりじゃ迷惑でしょ?」
「いいの、いいの。部長の私がやっていいって言ってるんだから」
私の印象とは違い、この部長さんは割とフレンドリーらしく、私の背中を押して調理室
の中へ連れ込もうとする。いや、連れ込むと言うか引きずり込まれている。
「えっ、でも・・・」
私はなんとか断ろうとしたが、
「まあいいじゃないですか。せっかくのご好意ですし、やってみましょう」
部活を探している本人の幸子がやる気だったので、大人しく部長さんに従って部員と
混ざってカレー作りをする事にした。
「自己紹介がまだだったよね。私は部長の香山理沙(かやまりさ)です」
「私は1年の香坂明日香です」
「同じく1年の周防幸子です」
隣の調理準備室で予備の三角巾とエプロンを借りて準備をしているとき、簡単に自己
紹介をした。
すると部長さんは意外そうな顔をして、
「あら、あなたが噂の明日香さんなのか。想像していたのと随分雰囲気が違うから気付
かなかった」
「噂・・・ですか?それはどんな・・・」
「私もちゃんと聞いたわけではないんだけど、気に入らない男子を次々とリンチに合わせ
てるって噂だね。なんでも伝説の北斗○拳の使い手で、誰も勝てないとか」
「・・・はい?」
どうやらあちこちでとんでもないデマが広がっているようだ。
てか、北斗○拳って何さ。誰がそんな誰でも分かるデマを流したんだろ。
あ〜、ホントにリンチしたくなってきたかも。
「はっきり言いますが、それは100%デマです。真に受けないで欲しいです」
キッパリと否定すると、
「うん。分かってるよ。あなたはそんな事するような人には見えないしね」
その言葉に嘘を感じなかったのでホッと一安心した。
どうやらこの人は信じてくれているようだ。
というか、信じてくれなかったらその人の常識を疑う。
「ところでその噂は誰から聞いたんですか?」
とにかく噂の原因(根元)を突き止めるために聞いてみると、
「誰だったかな?男子からってのは確かなんだよ。私、料理部で作って余った料理を色
々な運動部にお裾分けしに行くから、その時に聞いたと思うんだけど・・・」
「そうですか。思い出せないならいいですよ」
結局は自分で探すしかないのか。
「ゴメンね。もし思い出したら教えるよ」
料理する準備が完了して、私は調理テーブルの前に立っていた。
私たちが参加すると言うことで、特別に1つグループが増えていた。
私・幸子・香山部長のグループだ。
「私何すればいいですか?」
「じゃあ野菜切ってくれるかな?」
「はい」
「幸子さんは調理道具持ってきてくれるかな?とりあえずまな板と包丁は用意してある
けど、他のは用意してないから。もし場所が分からなかったら私に聞いてね」
「分かりましたわ」
「ゴメンね。私最初の方は他のグループも見ないといけないから」
そして私たちはそれぞれの分担をこなすために作業を開始した。
香山部長の言われたとおり、私は野菜をしっかりと洗ってまな板の上に置いた。
さてこれから切るんだけど、確か包丁で切るときは野菜を抑えてる手を猫の手のように
丸めるんだったよね。それで切るときは手前から奥へ包丁を押すような感じだったかな。
普段料理しないため、昔に聞いたことのある事を一生懸命思い出しながら野菜を切り
始める。
ちなみに実はこの包丁の使い方を教えてくれたのは和哉だったりする。
前に自分で料理を作ろうとして、包丁を使っていたときがあった。
その時私は何も知らず、普通に指は曲げずに伸ばして切っていたのだが、その場面を
和哉に見られてすごく怒られた記憶がある。
本当に久しぶりに包丁を使うのでちゃんと切れるか不安があったが、自分が思ってい
た以上に野菜がドンドン切れていくのでとても気持ちが良かった。
あまりに気持ちよく切れていくので、調子に乗って他の野菜もドンドン切っていったの
だが、
「あっちゃん、ストップ」
調理道具を持ってきた幸子が、野菜を切っている私の行動を止めた。
「ん?」
私は何で止められたか分からなかった。
しかし幸子の顔を見ると、呆れ顔になっているように見える。
そして私に質問をしてきた。
「あっちゃんに質問です。さて今私たちは何を作っているのでしょう?」
「何って、カレーでしょ?」
それくらい私だって知っている。
何でそんな当たり前の事を幸子は聞くのかと疑問に思ったのだが、とりあえず質問に
答えた。
「何を言いたいかまだ分かりません?」
「・・・分からない」
すると幸子は、「やれやれですわね」と呟きながら、さらに質問をしてきた。
「あっちゃんってカレー食べた事ありますわよね?」
「もちろんだよ」
「その野菜の切り方見て何か思いません?」
「え・・・?」
言われた通り、自分の今さっきまで切ってた野菜を見てみる。
そしてじっと見ること1分。
「・・・・・・!?」
やっと幸子が言いたい事を理解した。
「やっと分かったようですわね」
「・・・うん。これ全部みじん切りになってるね・・・」
そうなのだ。
切ることに夢中になって全部の野菜をみじん切りにしてしまっていたのだ。
幸子に言われるまで全然疑問に思わなかった。
さすが料理に縁がない女だ、私って。
「これだとカレーと言うより、ハンバーグが作れますわね」
「うぅぅ・・・。もう1回切りなおしかな」
結構真剣にやってた分、ここでやり直しになると凹む。
「まあこれだけのミスならジャガイモが溶けてなくなりはするでしょうけど、出来なくはな
いですわ」
「じゃあこのま―――」
「ただですね、よく見ると野菜の皮を剥いてないですし、ジャガイモの芽も取ってないよう
なので残念ながら切り直しするしかないですわ」
「ガーン」
今のはかなり落ち込んだかも。頑張って切ってたのにな〜。
私は野菜を切ることしか頭になかったから皮を剥くなんて頭の中に全くなかった。
まさかそんなミスをしていたとは・・・。
「誰でも失敗はありますわ。この次はしっかりやればいいだけです」
「うん。そうだよね」
落ち込んでいた私を幸子は励ましてくれたので、私は元気を取り戻してもう1度野菜を
切ろうとした。しかし、
「野菜切りは私がやりますわ。割と時間ロスしてますし、あっちゃんには悪いですが、私
が切った方が早いでしょうから」
「まあ時間ないなら仕方ないね」
口ではそう言ったものの、せっかく再びやる気になったのに、仕事を取られてちょっと悲
しかったりした。
とにかく最初に言われていた仕事がなくなったので次の仕事をすることにしよう。
「じゃあ次は何すればいいかな?」
香山部長は他のとこに言ってるので幸子に聞いてみると、
「そうですわね。それならお米を洗ってください。炊くにも時間かかりますから」
「オッケー。任しておいて」
さっそく私は用意されていたボールとザルを使い、流しでお米を洗い始めた。
シャカシャカ
知ってる知識で一生懸命お米を洗っていたのだが、
「ちょ、ちょっと香坂さん!」
横から突然香山部長に怒鳴りにも似た大きな声で呼ばれた。
その大声に反応して、ほぼ全員がこっちを見る。
「・・・え?はい?」
私は突然大声で呼ばれたために反応が遅れた。
「香坂さん、何してるの?!」
「えっと、お米洗ってるんですけど・・・」
あれ?私また何かドジしたのかな?
私を見る香山部長の顔は、信じられないものを見たときの驚愕の表情になっている。
「何かおかしい事してます?」
すると香山部長は呆れ顔になりながら、
「香坂さんは今までお米を洗った事ないの?」
「はい。うちはいつも弟が食事作るので」
「じゃあその弟さんがお米洗ってるとこは見たことない?」
「しっかりはないけど、ちょっとならありますよ。お米をこうやって手でかき回したり、軽く
揉んだりするんですよね?」
その質問にジェスチャーをつけながら答えると、
「うん。まあそれは間違ってはいないんだけど、問題はそこじゃなくて、どうやってお米を
洗っているかなんだよ。香坂さんは今どうやってお米洗ってたの?」
「どうやってって、洗うんだからこの洗剤をつ―――」
「それがいけないの!」
「えっ?!」
私の言葉を遮って、香山部長は私のドジしたであろう部分を指摘した。
それと同時に、調理室にいた料理部のメンバーのほとんどが笑いを堪え始めた。
もちろん幸子も私に見えないように後ろを向いているが、明らかに肩が上下しているか
ら間違いなく笑いを堪えている。
でも何か私間違った事したのかな?
洗うなら洗剤使わないといけないのでは・・・。
しかしみんなが笑っているということは、明らかな間違いをしたのだろう。
そう考えていると、香山部長は言った。
「普通お米を洗うときには洗剤は使わないものなんだよ」
「・・・・・・」
「お米を洗うときは、ただ水の中に浸ったお米を手でかき回して、それによって出てくる
濁りを取ればいいだけなの」
「・・・・・・」
「食べるものに洗剤なんて入れたら、病院に運ばれてもおかしくないでしょ?」
そう言われると、なるほど一理ある。というかそれがまともな考えだ。
確かに自分が食べるものに洗剤が入ってるなんて知ったら誰も食べたくないだろう。
それに気付かなかった私は大馬鹿だ。かなり恥ずかしい。
うー、どこかに穴があったら一生閉じ篭っていたいくらいだ。
きっと今鏡で自分の顔を見たら真っ赤になっているんだろうな。
「どう?納得してくれた?」
「はい。十分納得しました」
それはもう痛いぐらいに、ですよ。
「それなら良かった。これで分からないなんて言われたらどうしようかと思ったよ」
香山部長は笑いながらそう言った。
「えーっと、この事は今ここにいる人だけの秘密という事でどうか内密に・・・」
この事が学校中に知れ渡ったら私はいい笑いものになってしまう。
それなので香山部長の耳元でそう囁くように言うと、
「ふふ。分かってるよ。ちゃんとみんなに口止めはさせておくから安心して」
そう言ってくれたので、多分この事はここだけの秘密になってくれるだろうと信じよう。
あの後、私は香山部長の指導の下で、何とかカレー作りを終わらせることが出来た。
まあほとんどが幸子と香山部長が作ったようなものなんだけど、それでも何かをやり遂
げたという達成感があった。
そしていざ出来たカレーを食べてみるとやっぱり美味しかった。
苦労して作った分、美味しさは倍増していたと思う。
カレーを食べ終わり、片付けが終わる頃には部活の終了時刻になっていた。
今日の部活見学は結局ここだけになっちゃったな。
何か無駄に恥を作っただけな気がするのは気のせいだろうか。
いや、気のせいだと思おう。
「今日は本当に楽しかったですわね」
「私は楽しくなかったー」
不満げに私はそれに答えると、
「そうですか?私は楽しかったですけれど」
そう言いながら、何を思い出したのか(まあすぐに分かったけど)クスクス笑い始める。
「多分あの中で私以外は楽しかっただろうねー」
もうあそこの人たちとは恥ずかしくて顔を合わせたくない。
調理室から出るときに、「また来てね」と何人かに言われたのだが、もう2度と料理部
に顔を出すことはないだろう。
そしてこんな風に部活見学1日目は幕を閉じたのだった。
あっ、今思えば野菜の方も洗剤で洗ってたっけ。
そう考えると、切り直しになって助かったなー。
今度からはこっちの方も気をつけよっと。
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