第3章 戸惑い 第1話


 京君にキスされた。

 その事が頭から離れない。

 突然だったし、かなりの衝撃だった。

 でもさっきのが私のファーストキスかと聞かれたらそれは違う。

 

 

 幼稚園の頃、近所に住んでて同じ幼稚園に通っていた「あっくん(本名は知らない)」が

私のファーストキスの相手だった。

 でも最初はあっくんのことは嫌いだった。

 色々と私に対して嫌がらせをしてくるのだ。

 近所なので他の男の子たちと一緒に遊んでるときにかくれんぼをしていたのだが、何

回か私が隠れているのに放っておいてみんなで家に帰っていったり、服の中に蛙とかト

カゲを入れたりしてきたので、よく泣かされた記憶が残ってる。

 だから嫌いだった。

 でもあれはいつだったかな。

 私が家の近所を散歩しているときに偶然他の幼稚園の男の子たちにぶつかって、そ

れで責められて泣かされてたときがあった。

 でもそのときにどこからかあっくんが現れて、

「おまえたち。こいつをイジメるな」

驚くことにいつも自分がイジメているはずの私を助けてくれたのだ。

 しかもそのイジメっ子を追い返した後、泣いている私に無言ながらもソッとハンカチまで

差し出してくれたりもした。

 その行動が理解出来なかった。

 普段は自分がイジメてるくせに何で助けてくれたんだろう?私のことが嫌いだからいつ

もイジメてると思ってたのに。

 そのときは疑問に思ってもやっぱりあっくんが怖くて聞けなかった。

 それから何日か経った日にまた散歩してると、運悪くこの前の男の子に遭遇してしまっ

た。

 あれ?少し違ったかな。あれは待ち伏せされてたように記憶してる。

 私はまたイジメられると思って急いで逃げた。

 でも今の私と違い、この頃はまだ運動があまり得意ではなかった。それなのですぐに

疲れてしまい捕まってしまった。

 ああ、今日も泣かされるのか。

 そう思っていたら、

「またおまえたちか。こいつをイジメるのはやめろ!」  

 またあっくんが現れてイジメっ子を追っ払ってくれた。

 今度は勇気を持って助けてくれる理由を聞いてみると、

「べつにりゆうなんてない。おまえはおれにイジメられてればそれでいいんだ」

 その時は言ってる事が理解出来なかったけど、その夜に母親に言葉の意味を聞いて

みると、「その子はきっと明日香ちゃんのことが好きなのね」と教えてくれた。

 早い話、あっくんは『好きな子をイジメるタイプ』だったのだ。

 そしてついでにあっくんからイジメられなくなるような入れ知恵もされた。

 次の日、さっそくその入れ知恵されたことを実行に移すと、その日からパッタリとイジメ

られなくなった。

『わたし、ひとをイジメるようなひとはキライ。だからイジメてくるあっくんは大キライ。でも

イジメなければ好きかも』

 効果てき面。この言葉が効いたようだった。

 それからはイジメられることもなく、みんなで仲良く遊べるようになり、私が泣かされる

日はほとんど無くなった。

 それにかなり記憶が曖昧になっていて本当にそうだったか分からないのだが、あの時

から私とあっくんの立場が逆転してたような気がしなくもない。

 とにかくそれからは楽しい幼稚園生活を送っていたはずなのだが、なぜかほとんど記

憶に残ってはいない。

 はぁ〜。嫌な記憶は割としっかり覚えているのにね・・・。
 
 でも最後の卒園式間近くらいからの記憶はしっかりと残っている。

 このままいけば今度はあっくんと同じ小学校に行けると思っていたのだが、幼稚園の

卒園式間近になって私は母親(この頃はまだ放浪癖はなかった)から残念な事実を聞か

された。

「明日香ちゃんの大好きなあっくんなんだけど、卒園式終わったら遠くに引越ししちゃうん

だって」

 それを聞いてショックを受け、幼稚園に行かなかった日があったような気がする。

 大好きなあっくんがいなくなっちゃう。

 それまで自分では意識していなかったのだが、あの時入れ知恵されて何気なく言った

だけの言葉が、いつの間にか本当になっていたらしい。

 それでも最後のお別れになる卒園式にはちゃんと出て、あっくんにしっかりお別れを言

い・・・そして最後にキスをした。

 それが私のファーストキス。

 

 

 幼稚園の時のことは無効と言うのならさっきのがファーストキスになるのだが、私の中

ではあっくんの事はいい思い出なのでやっぱりカウント外には出来なかった。

 しかし今思い返すと昔の自分は結構マセてたのかな。

ガラガラ

 ベットに座ってそんな思いに耽(ふけ)っていると保険室の先生が戻ってきた。

「あら?まだいたの?そろそろ校舎の鍵を閉めるから早く出なさい」

 随分長いこと座っていたらしい。

 下校時間はとっくに過ぎており、もう外は薄暗くなり始めていた。

「すぐに帰ります」

 私はなぜかベットの横に置かれていた(多分、京君か幸子が教室から持ってきたのだ

ろう)自分の鞄を持って保健室から出た。

 そして昇降口に来ると京君の下駄箱を確認してみるが、すでに靴はなく帰った後のよう

だった。

 その方が私も気が楽なのでありがたい。

 ここで一緒に帰ることになっても恥ずかしさとかあってまともな会話出来ないし。

 

 

「ただいま〜」

 1人帰途に着き、家の玄関を開けた。

 いつもなら「おかえり〜」って和哉の声がするのだが、

「明日香ちゃん、おかえり〜。今日の夕飯何がいい?」

 今日はいつもと違って和哉ではない、女の声が返ってきた。

 そしてリビングに行くとその声の人物はソファーに座って暢気にテレビを見ていた。

「やっとバカ親が帰ってきた。一体何ヶ月家を空ければ気が済むの?」

 さっきの声の主は私の母親だった。

 春からの長い放浪からやっと帰ってきたらしい。

「あらあら。「ただいま」の一言も言ってくれないの?お母さん悲しい。そんな子に育てた

覚えないのに」

 服の裾で涙を拭くような素振りをしてみせる。

「あんたに育てられた記憶は小学校の途中からほとんどないけど」

「あれ?そうだっけ?」

 私の言葉に意外そうな顔をするが、これは冗談抜きの事実。

 母親の放浪癖が始まったのが確か私が小学3年生の頃だった。

 それまでは父親だけの放浪だったのに、ある朝気付くと母親も書置き残して消えてい

たのだ。

 それ以降は両親がいなくなると、毎回近所に住んでる燐華のお母さんに色々と世話を

してもらっていた。

 それなので和哉の家事の仕方などはすべて燐華のお母さんから教わったものである。

 そんなわけで私は冗談抜きで育てられたって思っていない。

「まあ、アレだよ。あれこれ縛るのは教育に悪いから多少は放任させないと・・・」

「それはあんたたちが放浪しちゃうから結果的にそうなってるだけでしょ!」

「あはは。明日香ちゃん怖いよ〜。何?もしかして反抗期?」

 私が怒ってるのに何にも動じない。てか、怒られていると思っていないんだろう。

 それどころか私が反抗期になったって勝手に1人で喜んで笑っている。

 この人にはもう何言っても無駄かも。

「ところで父さんは?」

 こっちがダメならもう片方に文句を言おうと思ったのだが姿が見えない。

「和也君と買物中〜。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな?」

「買物中って何作るか決まってるの?」

「今日は豪勢に焼肉でもしようかって話になったからお肉を買いに行ってもらってるの。

でさ、 パパは割と顔が広いから一緒に連れて行くと安く売ってもらえるから安上がりにな

るわけよ」

「・・・・・・」

 私が無言になると怪訝そうにして、

「急に黙ってどうしたの?」

「今の話っておかしいでしょ?さっき「今日の夕飯何がいい?」って聞いてたくせに、もう

最初から決まってるなんて」

「いつそんな事言ったっけ?」

 私は文句を言ったのだが、何の事とばかりに不思議そうに聞き返してきた。

「「おかえり〜」の後に聞いたじゃん!」

「そうだっけ?覚えてないや。あはは」

 もういいや。話してるとこっちが疲れてくる。

 

 

 久しぶりの家族団らんの食事。

 いつもは和哉と2人きりで少し寂しかったけど、今日は少し賑やかで楽しかった。

 結局買物から帰ってきた父さんへの説得も、「男はいつでも冒険者だ!」とか意味分か

らないことを言われて失敗に終わったが、とりあえず夏休みまでは家にいると約束してく

れたのでそれで我慢することにした。

「そういえば今日家に帰ってくるときに懐かしい人にあったのよ」

「おお、そうだったな。明日香に教えてあげようと思ってたことがあったんだ」

 両親2人が私に対して話を持ってくる。

「何?」

 私は鉄板で肉を焼きながらその話を聞く。

「明日香ちゃんが小学校入る前くらいだったかな?引越しした男の子の事覚えてる?」 

「うん。覚えてる。あっくんだよね」

 ちょうど今日その時の記憶を思い返したばっかだった。

「そうだよね〜。明日香ちゃんの初恋の人ですもの」

 ニンマリとした顔で母さんは言う。

 事実なんだけど、そうはっきり言葉に出されると恥ずかしい。

 少し赤面したように思える。

「でね、その子のお母さんにあったのよ。ここの近所で」

「ホントに?!」

「ああ。何でもこの春からその男の子がこっちの学校に通うことになったらしくて、こっち

にまた戻ってきたらしい」

「そ、そうなんだ」

 初恋だった人がまたこの地に戻ってきた。

 何だろ?あの時の思いが私の中で段々と膨れ上がってくるように感じる。

「しかもね、その通い始めた学校が何と明日香ちゃんと同じ清廉高校って言うんだから

驚いた!」

「えっ!?」

 それにはこっちも驚いた。

 初恋の、もう会えないと思っていた男の子が、気付かぬうちに同じ学校にいたなんて。

 これは運命・・・なのかな?

 でも私にはもう京君がいるし、それにあっちも昔のときの事だから覚えてないだろう。

 その証拠に今までにそれらしい接触はなかった。

「名前を教えるから明日さっそく学校で会ってみるといい。何年振りかの再会だ。なかな

か彼氏の出来ない明日香でも彼氏の出来るチャンスかもしれないぞ」

 サラリと父さんは酷いことを言ったが、前半部分には惹かれるものがある。

 しかし会いたい気持ちもあるが、今はもう私には京君がいる。

 ここで名前を聞いて会いに行くべきか。それともこのまま知らない振りをして過ごすべき

なのだろうか。すごく悩む。

「どうした?知りたくないのか?」

 おそらくすぐに名前を聞いてくると思っていたのだろう。

 それなのに私が悩んでいるので不思議そうにしている。

 すると今まで黙々と焼肉を食べていた和哉が口を開いた。

「姉ちゃんにはもう彼氏がいるんだよ。だから悩んでるんじゃない?」

「キャー!そうなの?どうなの?今のは本当なの?」

 和哉のその言葉を聞き、母さんは歓喜の叫び(?)を上げながら私に対して興味深々

に聞いてくる。

 父さんの方はというと、「よくやった。よくやった」みたいなセリフが今にでも出てきそう

なとても満足げな顔をしている。

「和哉!」

 「余計なことを言うな」って思いで和哉を一喝するが、

「隠してもどうせ無駄だよ。明日の朝になれば嫌でもバレることだろ?それなら今バレて

も変わらないって」

 和哉の言ってることはもっともなので仕方なく白状することにした。

「入学して少し経った頃に告白されて、少し前から付き合ってる」

 言った後に感じたのだが、親に対して面と向かってこんな事を言うのはものすごく恥ず

かしかった。顔から火が出そうだ。

「キャー!明日香ちゃんもついに男の子を誘惑するくらいに女になったのね。ママ嬉しい

わ!」

「パパも嬉しいぞ。このまま嫁の貰い手がなかったらどうしようかと心配してたんだ。でも

これで安心だ。ハッハッハ」

 2人とも私に彼氏が出来たことに大喜びなのだが、

「ちょ、ちょっと嫁の貰い手って話飛びすぎ。まだ『結婚を前提に』ってわけじゃないから」

「ん?そうなのか?てっきりもう結婚を考えてると思ったんだが」

 父さんはかなり事を大袈裟に考えている。

「まだ私、高校生だよ?そんなの考えるの早いって」

「あらあら。明日香ちゃん、この国では16歳になったら結婚出来るの知らない?」

 父さんを庇うように母さんはフォローを入れる。

「それは知ってるけど・・・男は18でしょ?」

「まあそうだけど、それでも高校生で結婚出来るのに変わりはないでしょう?」

「んー。でもやっぱり早いよ」

 法律ではそうなっていたとしても、やっぱり高校生で結婚は早いと思う。

「そんな事はないぞ。明日香はパパたちの歳を知っているのか?」

 私は少し考えた後に首を横に振った。

 言われてみれば私は両親の誕生日を知っていても歳を知らないでいた。

「和哉君は知ってるよね?」

 今度は母さんが和哉に同じ質問をしてみると、

「記憶が正しければ、父さんは32歳で母さんは30歳だったはず」

「ピンポンピンポン。正解でーす」

 和哉は少し考えただけでサラリと答えた。

「よく知ってたね」

 こっそりと小声で和哉に言うと、

「たまたまだよ。最近保険証見る機会あったから知ってただけ。そうじゃなければ俺も知

らなかったよ」

 やっぱり和哉も今まで知らなかったらしい。

 まあ両親の誕生日を祝ったことなんてここ何年か無かったし、誕生日を覚えていただ

けでも十分だろう。
 
 しかし32と30か〜。燐華や幸子とかの両親よりも若く見えるとは思ってたけど、本当

にまだ若かったのか。てっきり若作りでもしてるのかと思ってた。

「って、ちょっと待った!」

「ん?どうしたの、明日香ちゃん」

 何気なく今思ってたけど、私はすごい事実に気付いた。

「母さんが私産んだときって・・・」

「うんうん。今の明日香ちゃんくらいの時だったわね」

ゴホッゴホッ

 母さんの言葉を聞いて和哉が突然咳き込んむ。

「どうしたの?和哉君」

「ちょっと今のは驚いた」

「ママが明日香ちゃんを15歳で産んだって話?」

「うん」

 どうやら珍しく頭のいい和哉もそこまでは気付いていなかったらしい。

「初耳だよ〜。母さんが私と同じ歳のときに私を産んでたなんて」

「そうだっけ?まあ年齢を逆算すれば分かることだし、あえて言わなかったのかな」

 特に大したことでもないような口振りで言っているが、かなり大きな事だと私は思う。

「すごくその事に興味があるんですけど〜」

 私が詳しく聞こうとしたのだが、母さんは自分の唇に立てた人差し指を当て、「女は秘

密があった方が魅力的なのよ」と言うだけで、私に教えようとはしなかった。

「じゃあいいもん。女じゃない、男の父さんに聞くから」

 それなので父さんに聞こうとしたのだが、「男は多くを語らないものだ」と言われてやっ

ぱり教えてもらえなかった。

「そんなママやパパの事はどうでもいいの。今は明日香ちゃんの彼氏のお話でしょ♪」

 母さんは再び逸れていた(そのまま逸れてて良かったんだけど)話を元に戻してきた。

 ちぇっ。うまく誤魔化されちゃったよ。

「それで名前は何て言うの?どこに住んでるの?カッコいいの?頭いいの?その子のど

こを好きになったの?どこまでいった?もしかして最後まで???」

 それから母さんはマシンガントークみたいに次々と質問をしてくる。

 しかし最後の質問は食卓で聞くような質問じゃない。何考えてんだろ。

 いちいち答えるのも面倒だし、最後の質問は答える気にもなれなかったので、さっきの

仕返しとばかりに真似をして、「女は秘密があった方が魅力的だから教えません!」と答

えた。すると、

「そうだよね。でも明日香ちゃんは『秘密があった方が魅力的』って言うよりは、こうやっ

て秘密でも作っとかないと女の魅力が無いように感じるし、これ以上聞いて魅力を無くす

のは可哀相だから諦めるね♪」

「なっ、何それ!私だって秘密が無くたって魅力があるもん!」

 今の言葉にカチンときてすぐに反論すると、

「それなら秘密にしないで聞きたいな〜♪」    

「ああいいよ、教えるよ!」

「はぁ、姉ちゃんってバカだ」

 そして私はうまい事挑発に乗ってしまい、結局答える事となってしまった。

 

 

「相沢京って名前なんだけど―――」

 そういい始めたところで、2人は急にお互いの顔を見合わせた。

「何?どうしたの?」

 その行動を不審に思い聞いてみると、

「なーんだ。明日香ちゃん、もう再会してたんじゃん。そうならそうって回りくどいことせず

に言ってくれれば良かったのに〜」

「うむ。全くだ」

「何の事?」

「もう。変なとこでトボけないの。初恋のあっくんと付き合ってるなら付き合ってるって始め

から言ってくれれば良かったのに。まるでさっきの驚きようだと、こっちに戻ってきてるの

を今さっき知ったって感じだったから、まだ再会してないのかと思ってたよ。それがすで

に再会してるどころか付き合ってなんてママ驚いちゃった。しばらく会わないうちに役者に

なったね〜♪」

 そして母さんは「これは明日香ちゃんに1本取られた」って、自分の額を軽く叩いた。

 そしてそれを聞いた私はというと、

「嘘・・・。京君があのあっくん・・・」

 衝撃の真実に驚き、思わず手から箸が滑り落ちた。

「もしかしてその驚きようだと今まで気付いてなかったとか?」

 母さんが眉をしかめながら怪訝そうに聞いてくる。

「い、今初めて知った」

「あら。じゃあ知らないのに付き合ってたんだ〜」

 私のその言葉を聞いて意外そうな顔をしながらも、その直後にはすごく喜ばしそうな顔

をして、「なんだか運命感じちゃうわ〜♪」と言い、そしておまけで「孫の顔を見る日は近

いわね♪」と付け足した。

 

 

 しかしすでに私の耳にはそんな言葉は右から左へ素通りで、ほとんど聞こえてはいな

かった。
 

 

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