第3章 戸惑い 第3話


トントン

「姉ちゃん、早く起きろー」

 心地よく眠っていると和哉が私を起こしに来た。

 もう朝なのか。あんまり寝た気がしなくてまだ眠い。

 それもそのはず。昨日(正確には今日)は1時過ぎに家に帰ってきたので、本当にあま

り寝ていないのだ。昨日は少し話し過ぎたと今頃後悔していた。

「あと5分で起きる〜」

「そんな事言ってると京さんが来ちまうぞ」

「じゃあ京君が来たら起きる〜」

「おいおい。人を待たせるような事はするなよ」

 呆れた声を出しながらも、和哉はドアから離れて1階に降りていった。

 そして静かになったところで、私は「京君が来るまでの僅かな時間だけ」と再び眠りに

ついていった。

 

 

 それなのだがいつもの時間に京君はやって来る事はなく、そのために私は久しぶりに

寝坊する事となった。

「キャー。もうこんな時間じゃん!」

 私が再び起きて時計を見ると8時過ぎ。久しぶりに遅刻の危機だ。

「何で京君来てくれないの〜?!」

 そう不満を言ったところで私は気付いた。

 そうだ。昨日はあんな事があったのだ。京君の性格からしたら登校拒否しかねない。

 とりあえず今はその事は置いておいて、急いで支度して出ないと遅刻だ。

「京さん、どうしたんだろうな〜?あ、姉ちゃん何かしたんでしょ?」

「そんなわけあるか!どっちかと言うとその逆だよ」

「ん?何かされたの?」

「和哉には関係ない事!もう急がないと遅刻だよ〜」

 和哉には恥ずかしくて言えないし、そもそも言ってる時間もない。今は一刻を争う状況

なのだ。朝ご飯も食べている時間がない。

 慌てて玄関に向かおうとすると、

「姉ちゃん、これ」

 何かを私に向かって投げた。

 それをキャッチして何かと見ると、私の手の中にあるのはコンビニとかで売ってるような

小さいアンパンだった。

「朝ご飯の代わりに持ってくさ」

「ありがと。じゃあ行ってくる!」

 和哉に感謝しながら、時間のない私は勢い良く玄関のドアを開けて―――

ゴン!

「ぐあ!」

 あれ?勢い良く開けたドアに何かが鈍い音を立ててぶつかった。

 鈍い音の後に人の声が聞こえたので、恐らく私がドアを開けてぶつけたのは人間なん

だと推測できる。勢い良くドアを開けた分、かなりの衝撃を与えたはずだ。

 恐る恐るぶつけた人を見ると、

「京君?!」
 
 ドアの向こうで倒れていたのは何と京君だった。

「ち、ちょっと。大丈夫?!」

 すぐに京君に近寄って起こす。

 上半身を起こし京君の顔を見ようと自分の顔を近づけた。

 すると私の頭を京君の手が掴み、そのまま強引に自分の唇に私の唇を押しつけようと

した。

「!?」

 何か違う。京君がこんな事するはずない。

 そう感じた私は唇が触れる前に、京君の胸元を思いっきり押して引き剥がした。

 すると京君は再び上半身が倒れて地面に頭を打ち付けた。

「あ・・・ゴメン。大丈夫?」

「いってな〜。キスくらいいいじゃねえか。昨日もしただろ?」

 ああ。なるほど。違うと感じたのは人格が入れ替わっていたからなのか。

 言葉遣いが悪くなっている事で私は理解した。

「京君はどうしたの?」

 起き上がってる京に聞いてみると、

「あいつは当分外には出てこないぜ」

「何で?」

「昨日の事が原因で自分の殻に篭っちまったんだよ」

 昨日は私から逃げるように帰って行っちゃったし、私に会いづらいと思っているとは思っ

ていた。しかし自分の殻に篭るくらいあの事で自分を追い詰めていたとは・・・・・・。

「全く。慣れないような事をするからこうなるんだよ。バレて困るなら始めからするなって

感じだな」

 京は呆れた口調で呟く。

 それに対して私も、口には出さず心の中で頷いた。

「っと、こんなとこで話してる場合じゃないよ。早く学校に行かないと遅刻になっちゃう!」

 私は今の状況を思い出した。

 今日は寝坊して遅刻ギリギリなのだ。

「後でゆっくり話をしよう。今は急いで学校に行くのが先決。早く来ないと置いてくよ!」

 京にそう告げると私は急いで学校に向かって走り出した。

 

 

「ちょっと待て〜!」

 私は前を走る京に向かって叫んだ。

 その言葉を聞き、速度を遅めて京は私と並んで走る。

「足遅いな〜。これじゃあ遅刻するぞ」

「うるさい。京の足が速いんだよ」

 本当に京の足は速かった。

 先に家から飛び出して走り出したはずの私を、後から追ってきた京が軽々と抜きさって

しまったのだ。

 今では逆に私が京を必死に追っている状態だ。

「さっきは早く来ないと置いてくって言ってただろ?」

「私より速く走っちゃダメ!」

「都合のいい事言ってるな」

「はい。コレ持って」

 京の言葉はスルーさせて、京に無理矢理自分の荷物を持たせた。

「何?俺に荷物持たせる気?」

「うん。コレならもっと速く走れるからね」

 それなので、私は荷物が無くなったおかげでもっと速く走れるようになり、京との距離

が徐々に広がっていく・・・ように思ったのだが、実際は京も本気で走り出したようで並ん

で走る格好となっていた。

 京は並んで走りながら不満そうに文句を言う。

「人使い荒いぞ。何であいつと俺との接し方がこんな違うんだよ。あいつも俺も同じ『相沢

京』なんだぞ?」

「何でだろ?やっぱり性格が違うと自然と接し方が変わっちゃうのかな」

 正直同じ体だとしても、雰囲気とか話し方が違うのだ。別人に思える。

「それは分からないこともないが、じゃあ何で俺に対しての扱いは酷いんだ?」

「私にイジワルするから。それにさっきだっていきなりキスしようとしたでしょ?何か敵対

心が・・・」

「キスの事ならあいつも同じだろ?了解を得ずに寝ているときにしたんだし」

 私の言葉を聞き、どこか怒ったような口調で京は言う。

「京君ならいいの!」

 それに反発するように私はキッパリと言ってやった。

 すると京は走る足を止めて、 真面目な顔をして聞いてきた。

「俺とあいつでどこが違うんだよ?同じ『相沢京』なんだぞ?」

「人格が違うじゃん。京君ならいいけど、京だと抵抗があるの!」

「なっ!?じゃあ俺が嫌いなのか?俺たち付き合ってるんだろ?」

「私が付き合ってるのは、あくまで京君なの!京じゃないんだから!」

 私の言った一言に京は驚いた表情をし、さらに顔が強張る。

「俺の・・・人格がいるのを認めて・・・付き合っているんだろ?」

 ゆっくりと京は確かめるように言う。

「それは・・・そうだけど・・・でも・・・」

 京君と付き合う前、燐華に京の事を好きかと聞かれたことがある。

 あの時から随分時間は経っているのだが、京は全然出てこないのでそれを確かめる時

間は全く無かったのだ。仕方ないと思う。

 しかし京は私がはっきり言わないのを否定の意味で取ったらしく、

「はぁ。なんか俺たち今の言葉でかなりショック受けた」

「コレ返す」

「え?」

 私の荷物を投げて渡してきた。

「今日サボるわ。適当な理由考えて伝えといてくれ。じゃあな」

「ちょ、ちょっと!」

 そういうと今来た道を全力とも思えるほどの速さで走り去っていってしまった。

 

 

 そんな事が登校中にあったので、私は当然遅刻だった。

 さらには朝のSHRどころか1時間目にも遅れた。

 京の事が気になってしまい、走る気にならなかったので歩いてきたのだ。

「おはよう、明日香。今日はどうしたの?」

 1時間目の授業が終わり休み時間になると、燐華が席にやってきた。

「そうですわ。相沢君も今日は来てないですし、迎えがなくて寝坊でもしたんですか?」

 そのすぐ後には幸子も自分の教室から私の元にやってきたので、2人に朝の事を話そ

うとしたのだが、今ここで話すには時間が足りなので昼休みに話すことにした。

 

 

 あっ、と言う間に午前の授業が終わり昼休みになった。

 いつものように屋上に私たちは集まる。

 そこで私は朝起きた京との出来事を話した。

「それは明日香が悪いんじゃない?」

「そうですわね」

 説明が終わるや否、完全否定されてしまった。

「何で?」

 疑問符を投げかけると燐華がそれに答える。

「それは簡単だよ。京君ともう1人の京君は、同じ『相沢京』という人間なんだよ。それは

分かるでしょ?」

「うん」

「もし明日香がもう1人の京君の存在を知らない状態で、京君と付き合っていたとしたら

まだ良かったんだよ。でも付き合う前にもう1人の京君の存在を知ったんでしょ?」

「うん」

「それを知ってる状態で付き合うことにしたんだから、自然ともう1人の京君とも付き合っ

てる状態になるよね〜」

「そう・・・だね」

 燐華の言うとおりだ。

 あの時は2人とも受け入れたはずだったのに、本当に『だった』らしい。

 いざこうなってみれば、私は京の方を彼氏とは考えてなかったのだ。

 私に追い討ちをかけるように今度は幸子が口を開いた。  

「それにあっちゃんは非常にマズい事をしましたね」

「え?どういう事?」

「相沢君はもう1人の人格も受け入れてくれると信じて付き合っていたのに、今聞いた話

だとあっちゃんはもう1人の相沢君を否定してる感じに聞こえました。それをもし相沢君が

聞いていたとしたら、さらに相沢君は心の殻に閉じこもって出てこなくなる可能性も無い

とは言えないですわ」

「そんな・・・。どうすればいいのかな?」

 知らずのうちに京君を傷つけていたとしたなら、何とかしなければいけない。

 考えても頭の弱い私にはいい方法なんて思いつきようがなかった。

「それは明日香が自分で考えないと」

「あっちゃんたちの問題ですしね」

 今回に限ってはアドバイスはないみたいだ。

 仕方ない。ない頭を絞って自分で考えよう。

 

 

 今日の授業はすべて終わったので、すぐに学校を出て京君の家へ向かった。

 しかしインターホンを押しても誰も出てくる気配がない。

 居留守・・・?

 そう思って諦めずにインターホンを鳴らし続けていると、

「そこの家の人になにか用なの?」

「あ、はい」

 後ろで少しぽっちゃりとしたおばさんが聞いてきた。

 多分この辺の人かな?

「ここの家の人はみんな今いないはずだよ。母親は最近こっちにいたみたいだけど、昨

日慌てて夫の住んでる家に戻っていったみたいだからねぇ。息子さんの方はさっき向こう

の方へ出て行ったのを見かけたわねぇ。今日は学校行かなかったのかねぇ」

 おばさんの話からして、京はさっきまで家にいたようだが今はいないようだ。

 それなのでおばさんが指指した方に向かってみることにした。

 

 

 あてもなく真っ直ぐ進んでいくと砂浜に出た。

 ここは遊泳禁止なのだが、季節は夏なのでちらほらと遊んでいる人がいる。

 ここに京はいるのかな?

 砂浜を歩いて探してみる。

 少し歩いて気付いたが、足が砂に埋まってしまうために歩きづらい。

 辺りを見回しながら歩いていると、テトラポットの上に座って海を眺めている京の姿を見

つけた。

 ゆっくりと歩きながら京のいるテトラポットに近づく。

 しかし京は考え事でもしているのか、近づいている私に気付く様子が無かった。

 そのまま京の隣にあったテトラポットの上に登って腰掛けた。

 そこでやっと私に気付いたらしく、こっちを見る。が、少し見ただけですぐに視線を海に

戻した。

「やっと見つけた」

 私の言葉に対して何か言おうとしない。

 京はただ海を眺めているだけだ。

「あのさ、朝の事なん―――」

「明日香は何で『相沢京』と付き合う気になったんだ?」

 視線は動かさず、海を見たまま京は聞いてくる。

「それは・・・」

「2重人格者が珍しかったからか?」

「それは違う!そんな理由じゃない!京君は優しいから。だから私もきっと好きになれると

思ったんだよ」

 最初はちょっと珍しいと思ってしまったかもしれない。

 でもそんな理由で付き合ったつもりは無かった。

「俺に関しての事はやっぱり無いんだな・・・」

 京の横顔は少し寂しそうに見えた。

「仕方ないと言えば・・・失礼かもしれない。でも私は京とはほとんど会ってないでしょ?京

は京君を通して私の事を知ってるかもしれない。でも私はまだ京の事はほとんど知らない

んだよ。だからまだ京の事に関しては・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 それ以降どちらも言葉を発しなくなり、私たちは無言のまま海を眺めていた。

 何も喋らないので、波打ち際に波が押し寄せる音がよく聞こえてくる。

 京は何を考えているだろう?

「俺が外に出ている間は・・・ただの友達なんだよな?」

 沈黙を破り京が喋った。

「そんな事は・・・ない」

「嘘だ。朝言ってただろ?『私が付き合ってるのは、あくまで京君』だって」

「ゴメン。あれは言い過ぎた」

「それなら俺とも付き合ってるって事なのか?」

 改めて京は聞いてくる。

「うん。2重人格って事を知った上で付き合ったんだしね」

 さらに私は言葉を続ける。

「でも「京君ほど好きなのか?」って聞かれたらそれはNO。さっきも言ったように私は京に

関しては知らないから。それこそ京君も京に関しての事は喋らないんだからね」

 これだけはしっかり言っておいた方がいいように感じた。

「・・・・・・」

 何かを考えているようで、京は再び口を閉じる。

 私は海を見ながら京の言葉を待つことにした。

 

 

 夕日も落ちて空が暗くなり始めていた。

 京が何かを考え始めてから結構な時間が経っている。

 いくら夏と言えども、潮風に当たりすぎてそろそろ冷えてきた。

 京の方を見るとまだ何かを考えているようだ。

 このまま京の言葉を待っているつもりだったのだが、もう遅いし帰ることにした。

「もう暗くなっちゃったし、そろそろ帰ろうか」

「・・・ああ」

 そして私たちは家に向かって戻ることにした。

 帰り道も京は何かを考えているらしく、無言で歩いていた。

 しかし京君の家にそろそろ着く辺りで、やっと京の重い口が開く。

「色々考えたけど、明日香のいう事も間違っていないと思う」

「・・・うん」

 そして京は決意をした目でさらに言った。

 

 

「だから決めた。今はあやふやな気持ちでも構わない。でもあいつが出てこない僅かな期

間に、あいつほどとは言わない。だけど絶対俺の事も好きにしてみせる!」
 

 

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